20070621

にぼしダッシュの続き

はーちゃんは横着なので、
寄りかかったりしながら煮干をもらう。
寄りかかる場所がないときは、

 「 にぼし! 」

 「 と、届かない 」

 「 はむ 」

結局、手を下げてもらって食べるはーちゃん。
甘やかし?




結構なかよし。

20070620

にぼしダッシュ

はーちゃんのおやつの煮干。
あげる係のピコリがガサガサ音をさせると…。

 「 もしかして、にぼし? 」

 「 にぼしだ! 」

確証した途端、ダッシュするはーちゃんなのでした。
いつも真剣だ。

20070618

私信

ぎゃー!

全然まったくコメントのないこのbroccoriに、
コ、コメントがあった。
しかもそれは5月10日のこと…。

ごめんよ、mio。
無視したわけじゃないんだよ。
気づかなかったのよ。


はーちゃんからも。
 「 ごめんにゃ 」

自転車の国のジャポネ

GIRO(ジロ)―イタリア一周自転車ロードレース写真集


サイクルロードレースの写真を専門にしている
カメラマン砂田弓弦さんの『GIRO』という本を読んだ。
1990年から2001年までの、12年間のジロ・デ・イタリアを
写真とコラムで振り返っているもの。

振り返る、と言っても、
レース展開を事細かに再現・記録しているのではなくて、
「あの年は、こんなだったねえ」と語っている感じ。
レースのなかのできごとだけではなく、
取材する立場で参加したジロを、当事者として語っている。

砂田さんの仕事は、日本のメディアではなく
もっぱら海外メディアから収入を得ている。
日本の仕事じゃ飯を食えないと砂田さんは言うけど
それだけじゃなく
グランツールでレースコースを走るオートバイから
写真を撮ることのできるカメラマンは限られているし
当然、世界市場での仕事をしていなければ
それを続けていくことはできないだろうと思う。
砂田さんは
ロードレースのトップカテゴリーに関わっている、
数少ない日本人のひとりなのだと思う。

かつて、パンターニとチポッリーニという
カリスマ的なイタリア人スター選手がいた。
砂田さんが『GIRO』で語っているのは
彼らがレースを走っていた時代のことだ。

過去のレースのことを知ると、
このまえまで毎晩夜更かしをして見ていたジロも
よりいっそう感慨深いものになる。
集団のボスとして振る舞っていたベッティーニの、まだ若い姿。
シモーニがイタリア人に愛され続けている理由。
ガルゼッリが優勝したときの泣けるエピソード。

いつか、10年くらい先に、
今の若手がベテランと呼ばれるようになった頃、
「シュレックは若いときからやたら強くてね」とか
「リッコはシモーニのアシストだったんだよ」とか
そんな話をしているのかもしれない。

ところで、
現在のロードレースのトップカテゴリーに関わっている日本人と言えば
なんといってもリクイガスの中野喜文マッサーだ。
中野さんは、ジロ総合優勝のディルーカを
専属的に担当しているというのだから、もっと注目されてもいいと思う。
マッサーというのは、マッサージだけではなく
栄養管理、体調管理にとどまらず、精神面のフォローまですると言う。
ディルーカのジロ総合優勝を影で支えていたのは日本人だったんだよ!
ということは、もっともっと語られてよいと思うのだけど・・・

そして、
現在日本人としてただひとりプロツールチームに所属する
ディスカバリーチャンネルの別府史之選手は
まさに今、ツール・ド・スイスに出場中。
自分のために走ることのできる立場ではないことはわかっているけれど
どこかで見せ場を作ってくれることを期待している。

20070617

モディリアーニの《物語》あるいは1918年の《パリ〜ニース》

6月16日のサイクリングは
豊平川サイクリングロードを通り、もっと先へ進み、
札幌芸術の森へ。
はじめての、目的と目的地のあるサイクリング。
目的というのは、芸術の森美術館で開催中の
「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」。

ハリウッドが映画化したほどにセンセーショナルな
モディリアーニとジャンヌの《物語》を
ふたりの画家の作品と資料から構成する展覧会
ということになるのでしょう。

しかし、僕の頭であらゆる考え事は
自転車を中心に回っている(サイクリング)ので
考え事はモディリアーニとジャンヌの《物語》から逸れていきます。

パリでの生活のなか、酒と麻薬におぼれ、
心身ともに壊れかけたモディリアーニは
転地療養のため、1918年、パリからニースへ旅立ちます。
およそ1年の滞在後またパリへ戻り、さらに1年後には病死するのですが、
ニース滞在中には束の間ながらも幸福な時間を過ごし、
その間の作品は色調も明るいと言われています。

というような筋書きに《物語》が差しかかったところで、
僕の頭のなかでは
「おっ、《パリ〜ニース》だ」
と自転車スイッチが入り、脱線していきます。

《パリ〜ニース》、
その名のとおりパリ(の近く)からニースまでを
1週間余りにわたって自転車で走っていくレース。
春のはじめに開催され、温暖な南フランスへ向かうことから
「太陽のレース」とも呼ばれます。
現在はプロツールの初戦として、
シーズン到来を告げるレースでもあります。

モディリアーニがパリからニースへ移り住んだ1918年、
ちなみに同じ年にマティスもニースに居を定めているのですが、
その年の《パリ〜ニース》はどんなレースだったのでしょうか。
その答えは・・・
《パリ〜ニース》の初開催は1933年を待たなければならないので
1918年にはまだレース自体がありませんでした。

でも、もし、すでに《パリ〜ニース》があったとしても
1918年には開催されなかったことでしょう。
と言うのも、時節、第一次世界大戦のさなかです。
ツール・ド・フランスも、ジロ・デ・イタリアも、
1915年から1918年までは不開催でした。
ロードレースが中断されていた間、
自転車は戦争に使われていました。
パラシュート部隊が自転車を背負って降下したり・・・
第一次世界大戦は1918年11月に終結、
翌年からはツールもジロも再開されています。
その後、第二次世界大戦にもまた
ツール、ジロ、もちろん《パリ〜ニース》も中断されました。

2007年の《パリ〜ニース》の優勝者は
ディスカバリーチャンネルの24歳スペイン人、
アルベルト・コンタドール。
脳幹部海綿状血管腫という難病のため
レース中に倒れたが一命を取り留め
競技どころか、日常生活への復帰も難しい状況から
ロードレースに帰ってきた選手だそうです。
いま開催中のドーフィネ・リベレに出場中、
ツールでどんな活躍をしてくれるか楽しみです。

20070611

100キロ走った!!

よっこは歯の治療中のためお留守番で、
あらたに自転車仲間になったタマーと2人で
「ジロ・デ・サッポロ」なんて称して
札幌を大回りするサイクリングに出かけた。
終わってみれば100キロの道のりだった。

このまえまで観ていた「ジロ・デ・イタリア」を気取ったわけだけど
ホンモノの「ジロ」は1日に200〜300キロ、何日も続けて走る。
それに比べたら、100キロの「ジロ」はささやかだけど
初心者にとっては大冒険だし、大記録だ。

最初は、以前にも走った白石サイクリングロードを北広島まで。
北広島市内の周回サイクリングロードを1週したあと、厚別まで戻る。
そこから野幌から雁来へ。
このへんはサイクリングロードがあったり、なかったり、切れていたり。
豊平川サイクリングロードに入るまでに何度か迷子になる。
でも、ほんとうの迷子は、もっとあと。

豊平川沿いの、サイクリングロードではない、
たぶん河川管理用の、「一般車両通行禁止」の道を走る。
すぐ脇にあるサイクリングロードの3倍くらいの広さがあって
安全、快適な場所なので、「手放し乗りガッツポーズ」の練習をした。
いつか優勝したときのために(なにで優勝するのか不明)。

豊平川の道が終わって、砂利道を下ると、砂利道が続いていた。
そのうち舗装路に出るだろうと思ったら、どこまでも砂利道だった。
舗装路に出ないまま、畑に入っていく。
自転車を押して行く僕たちは、農作業のかっこうで休憩している
おそらくは、その土地の持ち主と思われる人たちに出会う。
そして、その道はどこにも通じていないことを知る・・
やむを得ず、また砂利道を引き返していく。
自転車に乗っているあいだは、そんなに疲労を感じないのに、
自転車を押して歩くと、どっしり疲れが押し寄せてくる。

あいの里から前田へと走る。
大回りなので、辺境の地名が続く。
前田あたりから、どうも腹具合が悪くなってきた。
新川サイクリングロードをだましだまし走ったけど
一般道に出てからトイレに駆け込んだ。
どうも、自転車に乗っていると、おなかが冷えるらしい。
腹巻きが必要か?
(いや、途中で食べたシャーベットのせいかも?)

・キットカットを食べると、細胞からパワーがわきあがってくるようだった。
 糖分って、すごい。
・今回、ちょっとサドルを上げてみたら、ぐっと走りやすくなった。
・日焼けして、サングラスの跡が残ってしまった。
・回を重ねるごとに、ちょっとずつだけど走れるようになっていく実感がある。
 30歳にもなると「自分が目に見えて成長する」なんてのは
 そんなにしょっちゅう感じられるものでもなく、これは楽しい。