20110904

3・11後の談春を聞く

2011/9/3、道新ホールでの立川談春独演会について、
たぶん一年後に思い出したくなるような気がするので
備忘程度に書き残すことにする。

演目は「百川」と「死神」。

楽しめたかというと、正直なところ、楽しめなかった。
ひどい疲労感と、腑に落ちないモヤモヤした思いが残った。
でも、また聞きたい、聞かねば、とも思った。

はじめは客のせいかともおもった。
「死神」に入ってからも笑おう笑おうと身構えていて
少しのくすぐりで笑いすぎる客も多少あったかとは思う。
でも、そうひどい客層ではなかったはず。

談春の芸が、物足りなかったのかといえば、決してそんなことはない。
不足ではなく、むしろ過剰だった。
食い足りないのではなく、逆で、胃もたれしている。

去年までの、確固たる才能のうえで安定して芸を動かし、
世間の評価を一身に受けながら余裕と自信をにじませていた談春は、
もう、いなかった。

談春は3・11後の世界を生きていて、
その世界で芸を続けるためにたたかっているように見えた。
その意味では、自分も含めた客席は暢気すぎた。
いつものように(3・11以前と同じように)談春の芸を楽しめると思って出かけた。
演者と客のあいだに断絶があり、その断絶に談春はいらだっていたように思う。
その断絶を超えようとたたみかける過剰さが、胃もたれを起こしたのだろう。

談春は新しい過渡期に入り、そのため不安定、不完全さを引き受けている。
だから、楽しめたかと言えば楽しめなかったが、また聞かなければならない。
2012年は3か月おきに4回来るという。
過渡期がどれほど続くのかはわからないが、そのプロセスも含めて、聞きにいきたい。
次はこちらもそのつもりで覚悟をして出かけよう。