20070930

ちいさな旅の一日:7:トビウ古代史ファンタジー

ちいさな旅の目的はふたつあって、
ひとつはすでに書いたとおりオロフレ峠でのツールド北海道観戦。
もうひとつは、「TOBIU MEETS OKI」というイベントだった。

白老に、飛生(とびう)という地域があって、
古くは炭坑があったという話もあるけれど
今は何もないような場所。
80年代には飛生小学校が閉校し、
その廃校に「飛生アートコミュニティー」というものができた。
その「第一世代」の子どもたちを含む「第二世代」が
今また創作活動をしている。


 旧飛生小学校
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


「TOBIU MEETS OKI」は、その飛生での、
造形作品の展示とライブのイベント。
ライブ出演者はJA-woodooとOKI。

OKI(オキ)
おもにアイヌの弦楽器トンコリを演奏するミュージシャンで
アイヌ音楽を国内外に知らしめ
ワールドミュージックのなかに位置づけた人。
安藤ウメ子さんのプロデューサーとして知っていたけど
彼の音楽そのものを聴いたことがなかった。
興味はあったけど、聴く機会をもたなかった。
今回ようやく聴けるのを楽しみにしてた。

JA-woodoo(ジャウドゥ)は、
今は2人構成のジャンベのグループ。
世間的な知名度ではOKIとはまったく格が違うのだろうけど
僕にとってはスーパースターだ。
赤いジャケットのアルバム、たった1枚を持っているだけ。
でも、そのCDを何十回も繰り返し聞いた。
ライブを観たいと思っていたけど、活動休止していたらしく
今まで機会がなかった。
こちらも、ようやくライブが観られる。

というイベントがあるというので、飛生へ行くことになった。
でも、このイベントで知るまで、飛生という地名はまったく知らなかった。
気になって、あとから調べていたら、面白い記事を見つけた。
高校野球で全国的に知られるようになった「苫駒」の
高校じゃなくて本体の大学「苫小牧駒沢大学」のサイトにある
インターネット講座のうちの「北海道と胆振地方の古代史」

あくまでもひとつの仮説として、だけど、
「飛生」のことが『日本書紀』に書かれているのではないか
というお話。
『日本書紀』の一節に、
「問兎(とひう)の蝦夷」という人たちが登場して
「後方羊蹄(しりへし)を政所にするといいよ」と言った
と書いてあるそうだ。
その、「問兎(とひう)」というのが「飛生(とびう)」じゃないか
という仮説。

ほんとうかどうか、ぜんぜんわからないけど、
北海道には縁がないかと思っていた古代日本史が
急に身近に迫ってきたようで、驚く。
遺跡や、古い神社仏閣ならば、心構えもある。
でも、あの、ただの草原が歴史の舞台だったと思うと
ファンタジーの世界に取り込まれたような気分になる。
しかも「兎に問う」とは、これまたファンタジーな感じだ。
不思議の国のアリスの冒頭場面が思い浮かぶ。
ぜんぜん関係ないけど。

今回、自転車が出てこなくて、さみしいので、小ネタをひとつ。
自転車発電ジャンベ叩きロボ

あと2回くらいで終わりたいなーと思いつつ
「8へつづく」!

20070929

まる。

寝そべって本を読んでいたらはーちゃんがずっと側にいた。
ふと顔をあげると、

 しっぽがまる。

 そのまま寝ちゃった。

気になる。

20070925

日課?

毎日毎日、なぜだかタタターッと走ってきては、
わたしの椅子の手すりに手をかけ、ふんふんとわたしのにおいを嗅ぎ、
ちょっとなついては、一声鳴くはーちゃんなのでした。

 手はそろえて。

 すごく近い。

20070924

ちいさな旅の一日:6:哀しみの博物館、ポロトコタン

バスクの自転車チーム、エウスカルテル・エウスカディに
自転車を供給しているサプライヤーは
やはりバスクの、そしてスペイン最大の自転車メーカー「オルベア」。
オルベアのフレームは、やはりスペインらしく、
山岳ステージでのヒルクライムに強いと言われる。
オルベアという会社は、もとはライフルや銃を作っていたが
スペイン内線後に自転車メーカーに転向したものらしい。

スペイン内戦。
フランコ反乱軍を支持したファシズム勢力(ドイツ・イタリア)の航空爆撃により、
古都ゲルニカは破壊された。
あの、パブロ・ピカソの大作「ゲルニカ」は、この爆撃を描いている。
ゲルニカはバスク地方の古い都市で、爆撃により多くのバスク人が死んだ。
ピカソ自身はアンダルシア地方の出身である。

内戦と言いながら、実質的には第二次大戦の前哨戦だった。
反ファシズム運動として国際的に組織された「国際旅団」も戦闘に加わった。
「国際旅団」に参加したヘミングウェイは、のちに
スペイン内戦を背景として「誰がために鐘は鳴る」を書く。
この小説のヒロイン・マリアはバスク人である。
ヘミングウェイ自身はアメリカの出身である。
ハリウッドでの映画化に際してマリアを演じた
イングリッド・バーグマンはスウェーデンの出身である。

反乱軍が内線を制し、フランコ独裁時代が訪れた。
フランコはバスク人からバスク語と自治権を奪った。
75年にフランコが死に、79年「ゲルニカ憲章」で自治が復活する。
ETA(「バスク祖国と自由」)による
テロや暗殺をいとわない過激な独立運動は
現在に至るまで大きな問題となっている。

バスク語も地方公用語として認められるようになったが
今ではバスク人の5分の1が話せるにすぎないと言う。

ヨーロッパの諸言語には
イタリア語、フランス語、スペイン語を含むイタリック語派の他、
ゲルマン語派、バルト語派、スラヴ語派などの系統があるけれど
大きくはインド・ヨーロッパ語族に属している。
しかし、バスク語は違う。
起源も来歴もわからず、言語系統の分類ができないため
「孤立した言語」とされる、ルーツのわからない言語である。
日本語や朝鮮語も「孤立した言語」である。

アイヌ語もまた、「孤立した言語」である。
つまり、地理的に近接する日本語とも、類似はあっても、
直接的な連続性が認められていない、ということだ。
ただ、アイヌ語は
エスキモー語、北米インディアン諸語、
そして、バスク語と、特徴的な構造を共有しているという。
「孤立した言語」が、遠く離れながら、響き合っている。

アイヌ語の置かれている状況は、
バスク語とは比べものにならないほど危機的なものだ。
ネイティブ・スピーカーは10人以下になっていると言われ、
「消滅に近い言語」と位置づけられている。

白老で、昼食を終えて、次の目的地へ向かうにはまだ早く、
「しらおいポロトコタン(アイヌ民族博物館)」に立ち寄った。
ほんとうに立ち寄っただけで、博物館には入らず、
ポロト湖越しに見える野外博物館の「復元されたチセ(住居)」を眺めただけ。


 ポロト湖越しに見る保存されたチセ
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


わずか4、5件のチセが移築され、保存されている。
その「保存されている」という様が、言い表しようもなく哀しい。
消滅に近い言語、消滅に近い文化。

僕は侵略者・和人の子孫であって、
侵略の歴史のうえにできた都市の住人であって、
ポロトコタンを眺めて「哀しい」などと言うべき立場ではないのかもしれない。

あるいは、また別の視点。
本州の古い城下町にはよく「武家屋敷」が「保存されている」。
保存された武家屋敷を見ても「哀しい」と思わないことは矛盾だろうか。

アイヌ文化への共感ゆえに
その文化を破壊した和人による侵略とアイヌ衰退の歴史に
想いはちりぢりで、
ここに結論めいたことなど書けようはずもないままに
「7へつづく」!

20070923

20070922

重いけど、



いいのだ。


でも、ジャンプして胸の上に飛び乗るのは勘弁して~。

ちいさな旅の一日:5:ヘミングウェイは牛が好き

温泉に入って身体が温まったところで、
時間は昼にかかり、おなかがすいてきた。
白老の名産といえば・・・たらこ?
でも、ちょっと、たらこという気分でもない。
いや、しかし、たらこという気分とは、どんなものか。

白老の名産といえば、白老牛である。
白老の食肉牛の生産は、昭和29年に導入された島根牛44頭に始まる。
和牛の導入は北海道で初めてのことだった。

アイヌ語で牛を「ペイコッ」と言う。
東北地方では「ベコ」と言う。
ここに関係はあるのだろうか。
スペインでは「バカ」と言う。

ブエルタ・ア・エスパーニャのテレビ中継では
山などに立つ「黒い牛のシルエットの巨大な看板」が目につく。
高さ14メートルもある看板が、スペインじゅうに90個もあると言う。
シェリー酒やブランデーを作るオズボーン社の広告なのだけど
法律の規制で社名を外した単なるシルエットの看板になったそうだ。

東北の「ベコ」にはのんびりしたイメージがあるが
スペインの「バカ」になると凶暴なイメージに変わる。
赤い布を振るマタドールに襲いかかる闘牛。
「サン・フェルミン祭」の牛追いで街路を駆ける牛。
アーネスト・ヘミングウェイは「バカ」の祭りに魅了されて
「日はまた昇る」を書いた。

「サン・フェルミン祭」が開催されるパンプローナはナバラ州の州都で、
ナバラ州は中世ナバラ王国に由来する自治州である。
古くはバスク人の勢力圏であったが、バスク語は現在では大きく後退し、
ナバラ州のなかでもピレネー山脈沿いの地域でだけ話されている。

ツール・ド・フランスでも、ブエルタ・ア・エスパーニャでも、
レースがピレネー山脈にさしかかると
熱狂的な応援をみせるオレンジ色の人々が目につくようになる。
バスク人(とバスク在住者)だけで構成されたプロツールチーム、
エウスカルテル・エウスカディの応援だ。
オレンジ色は、そのチームカラーである。
バスク地方はスペインのなかでも自転車競技が盛んで
特に山岳に強い選手を多く輩出している。
エウスカルテル・エウスカディの選手たちにとって
ピレネー山脈のステージで活躍することは、使命である。
その使命はなかなか果たされずにいるが・・・

バスクの話は、次回にまた書く。
今はとりあえず、昼食のために白老牛にもどる。

白老牛、食べたことはないが、おいしいのだろう。たぶん。
おいしいだろうけど、昼食にするには敷居が高い。
いや、敷居というか、まあ、ちょっと値段が高い。カロリーも。
もうちょっと気軽に、手軽に、お手頃に食べたい。

というふうに思う層を狙ったのだろう。
狙われてしまった。
この夏、白老観光協会が仕掛けた「白老B&B(バーガー&ベーグル)」
白老牛をはじめとする白老産の食材を
気軽なサンド形式で提供しようという取り組みで
研究会での商品開発を経て
なんか、もう、喫茶店でも居酒屋でもラーメン屋でも
白老町の飲食店ごとに異なるバーガーまたはベーグルサンドを
販売している。



(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


10店が参加、11種類のバーガーが売られている。
僕たちは2店に行って、3種類を食べた。
あえて、どこがどうだったとは書かないことにしよう。
ただ、簡潔に、こう言っておこう。
「 アタリ・ハズレはあるぞ 」、と。
でも、また機会があれば、他も試してみたいと思った。

まだまだ終わりません。
「6につづく」!

20070920

ちょっと難しい。

 にぼし!





 ちょうだいーーーーっ


右手にカメラを持って、
左手でにぼしをあげるのはちょっと難しい。

ちいさな旅の一日:4:縄文からもベルギーからも遠く離れて

もともと雨の予報だったこともあって
オロフレ峠での「ツール・ド・北海道」観戦を終える頃には
すっかり身体が冷えきっているだろうと、予想していた。
だから、ちゃんと次の予定は立てていて、
峠を下って次に目指したのは、温泉だ。
あらかじめ選んでおいたとおり
白老町の虎杖浜温泉「ホテルいずみ」へ向かう。

虎杖浜は古くは「アヨロ」という地名で呼ばれていた。
アイヌ語の「アイ・オロ・オ(川のなかに矢を収めるところ)」が
転訛して「アヨロ」になったという。
続縄文期の遺跡があり、矢尻も発見されているのだという。
続縄文時代の人々が、川に矢を収めたのかもしれない。
そのことを、アイヌ語は知っていたのかもしれない。
そうかもしれないと思うと
あまりにも遥か遠い時間のつらなりに、茫然とする。

「ホテルいずみ」の日帰り入浴料金は、たったの500円だ。
たったの500円で、海に臨む、きれいな露天風呂を楽しめる。
しかも、まだ午前中だったせいか、貸し切り状態だ。
野鳥の声が聞こえる。
たまに野趣をアピールするために
スピーカーで野鳥の声を流している露天風呂があるが
ここのはリアル野鳥の声が聞こえてくる。
パークゴルフの歓声と、カラオケの熱唱も、
ちょっと聞こえるけど、気にしない。

貸し切り状態の露天風呂で、冷えた身体を温める。
ぬるめの湯なので、ほどよく温まる。
湯から出るとすぐ冷めて、また入るとほどよく温まる。
だからついつい、いつまでも出たり入ったりしてしまう。

湯につかりながら、オロフレ峠の観客の数は
やはりどうも寂しいものだったと、ゆうすけと話し合う。
もっと盛り上がるとよいのにと思う。

自転車が国技だとも言われる国がある。
ベルギーだ。
伝説のチャンピオン、エディ・メルクスの国である。
灰色の脳細胞をもつエルキュール・ポアロの国でもある。
チョコレートとワッフルが有名である。

ベルギーのおじさんたちは
自転車の議論を肴にして酒を飲むという。
ベルギーのおばさんたちは
ママチャリで風よけの先頭交代をするという。
どこまでほんとうか知らないけど、そのぐらい
ロードレースには熱烈な応援が向けられ、
生活のなかにも文化として根づいているのだろう。

競技としても、交通手段としても
日本における自転車は、日陰ものだ。
ベルギーみたいな自転車文化は夢のまた夢、遠い夢。
温泉で、そんな夢を思い描いていた。

温泉のことを英語では「SPA」という。
この言葉は、ローマ時代からの歴史をもつ温泉地「スパー」が
語源になっているそうだ。
温泉地「スパー」はベルギーの東部、ドイツとの国境近くに位置する。

ちょっとでも願うことは、一応言っておこう。
「いつかベルギーを自転車で走って
 スパーの風呂に入ってみたい!」

20070919

昼間の時間

昨日、用事があって会社を早退した。

12時半ころに家に着いて、カチャカチャと鍵を開け、ドアを開けると、
居間の方から、姿勢を低く、急いで走りでて、
寝室(はーちゃんの思う安全ゾーン)へ向かうはーちゃんが見えた。

「はーちゃん」と呼ぶと、わたしだと気づき
「なんだ~お母さんか~」とでも言うように、甘えて鳴く。

毎日仕事から帰ってきても、
部屋に変わった様子もないし、トイレも朝のままだから、
昼間、お留守番中のはーちゃんは寝室で寝てるだけかと思っていたけれど、
居間に出たりして、くつろいでいたのかも。

しばらく観察していると、外を見始めた。
長い時間、そこから外を見ているはーちゃん。




なにを見ているのやら。

ちいさな旅の一日:3:オロフレ峠を越えてゆけ(後編)

去年の日本チャンピオンだった別府史之は
現在、日本人でただひとりプロツールチームに所属している選手だ。
その兄である、山岳スペシャリスト別府匠が
集団から逃げ出した小集団からも、さらに逃げ出し、
たったひとりで先頭を走り
濃い霧のなかからオロフレ峠に姿を現した。
争う相手はなく、後続を気にするまでもなく
下り坂に備えてウインドブレーカーに袖を通しながら
ゆうゆうと山岳ポイントを一位通過していった。
PSBをカンカン鳴らして応援する。


 オロフレ峠いちばん乗りの別府選手
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


ややしばらくして、また、霧の向こうにシルエットが浮かんでくる。
オーストラリアのショウと、去年の総合優勝・西谷が来る。
またPSBを鳴らして応援。

そのあとは、いくつかの小さな固まりになって選手たちが通っていく。
平地のようにスピードに乗っているわけでもなく
集団も少ない人数に分断されているのだけど
だんだん個人の判別をつけるのも難しくなっていく。
そんななかでも判別できる選手というのは、
やっぱりオーラを発しているのだろうか。


 リーダージャージの新城選手
(photo : さとみちゃん/gl(ジーエル)


僕は、もちろん、新聞紙を渡しに出たりはできなかった。
黄色い兄さんが渡しているのを見ているだけでもドキドキした。
意外とたくさんの選手が新聞紙を受け取っていく。

いくつかの集団が峠を越えていった。
チームカーの隊列が走り去り、救急車も去っていった。
「救急車が行ったから、もう終わり」とNIPPOおじさんから聞いて
いったん車に戻った。
NIPPOおじさんたちも、ミーハー姉さんたちも、各自の車に戻った。
スタッフも山岳ポイントを撤収していた。
でも、黄色い兄さんたち数名はまだ道に立っていた。
まだ来るのかも、と思って、ゆうすけと僕もコースまで戻った。

そうしたら、ひとりの選手がヨロヨロと峠を登ってきた。
「パンク・・・」とつぶやいて通りすぎ、
山岳ポイントを過ぎたところで自転車を降りてしまった。
韓国人の選手だった。
あとから調べたら、グォン・ヒューソク選手。
ホイール交換をしなければ山を下ることはできない状態。
だけど、チームカーはとっくに行ってしまったあと。
なすすべもなく座り込むグォン選手。
お菓子をもって歩み寄る黄色い兄さん。

そこへ、なぜか遅れてやってきた北海道大学のチームカー。
黄色い兄さんが、シマノ10段のホイールを貸せと声をかける。
黄色い兄さんはホイール交換も手伝って、グォン選手を送り出す。
グォン選手はヨロヨロと峠を越えていった。

 送り出されるグォン選手
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


第5ステージ結果によると、グォン選手はDNF=DO NOT FINISH。
その後、どこかでリタイアしたらしい。

最後にほうきを掲げた車が過ぎていった。
今度こそほんとうに、レースはオロフレ峠を越えていった。

オロフレ峠の観戦は、これでおしまい。
でも、ちいさな旅の一日は、まだ午前中。
「4につづく」!


オロフレ峠の動画がこちらにあります。
僕たちはほとんど映っていないけど
フリースを取りにいって、道路の反対側に取り残されたさとみちゃんだけは
青い残像となって映っているのが見えます。

20070918

ちいさな旅の一日:2:オロフレ峠を越えてゆけ(中編)

オロフレ山は登別市と壮瞥町の境界線上に位置する、標高1,231メートルの山。
登山口のあるオロフレ峠は標高970メートルにあり、
登山の人はこの峠から山頂を目指す。
晴れていれば羊蹄山、洞爺湖、支笏湖、太平洋など眺望できる、らしい。
今回は霧に覆われていて、そんな雄大な景色には出会えなかった。
「オロフレ」という地名は「オロフレ川」に由来する。
オロフレとはアイヌ語で「水の中が赤い」という意味だと言う。
オロフレ川は見ていないので、赤いかどうかわからない。
でも、このあたりは温泉地なので、硫黄とか、
赤茶けた鉱物の関係で、川底が赤いのではないかとも思う。

オロフレ峠へ向かう車中では、一同に第4ステージまでの戦況を説明。
リーダージャージのアラシロや、山岳ジャージのドイを売り込む。

峠までの道のりは、もちろんひたすら坂道なのだけど、
途中途中で自転車の人を見かける。
観戦ポイントまで登っていくのだろう。
すてきだ。
路肩に車を停めて、選手たちを待っている人たちも、ちらほら。

これは、山岳ポイントともなると、けっこう人がいて
場所とり合戦になってるかもしれない
なんて思ったのだけど、実際には閑散としていた。
ジロやツールのイメージからすると、あまりにも寂しい。
でも、まあ、これが日本のロードレースの実情。

車を停めて、持参したスコーンを食べて、コーヒーを飲んでから、
観戦する位置を決めにいく。
やっぱり霧が濃くて、近くしか見えない。
いきなり選手が現れてくる感じになるだろうと思った。

応援に来ている人のなかには
NIPPOの黄緑色のウインドブレーカーを着たおじさんたちがいた。
「へろへろになって山を登ってくるから、
 このあたりで一発、気合いを入れてやらなければいけない」
と言っていた。
NIPPOおじさんは、いかにも応援慣れしている感じで
質問をすると親切に教えてくれるのだけど
教えてくれることは意外とテキトウだった。
あまりアテにならない。

NIPPOおじさんからパワースティックバルーン(略して、PSB)をもらった。
PSBは、ポリエチレン製の細長い風船で、
ストローを差し込んで息を吹き込むと簡単にふくらんで、棒のようになる。
棒状になったPSBを両手に持って、叩き合わせると、
カンカンカン、というか、ポワンポワンポワン、というか、独特の音が鳴る。
これを叩いて応援するのだ。

PSBに続いてもらったのは、新聞紙である。
新聞紙は、黄色いパーカーの兄さんからもらった。
ゆうすけが「あの人、なんで新聞を用意しているの?」と訊くので
「あれはおなかに入れて防寒にするんだよ」と話していたら
黄色の兄さんが「渡してみるかい、渡してごらんよ」と新聞紙をくれた。
僕には渡す自信がまったくなかった。
渡すのに失敗して、選手を転ばせたりしたら、一大事だし。
だから「むり、むり」と断ろうとしたけど、結局は僕の手に新聞紙は残った。
むりなのに・・・。


  NIPPOおじさんたち
(photo : さとみちゃん/gl(ジーエル)

  黄色の兄さん
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


峠には僕たち、NIPPOおじさんたち、黄色の兄さんたちの他に、
レプリカジャージを着てミーハーな会話をする姉さんたちや、
霧で薄暗いのに、なぜか揃ってサングラスをかけているレース関係者がいて、
全部でせいぜい20人くらいだったと思う。

携帯電話でテキストライブを見ていたけど
レースの状況も、あとどのくらいで峠に来るのかも、さっぱりわからない。
だんだん寒くなってきて、
さとみちゃんがフリースを取りに車に戻ろうか悩んでいた。
そろそろ選手たちが来るよ、と広報車が知らせにきたけど、まだなかなか来ない。
やっぱり取りにいこうか、と、さとみちゃんは迷う。
パトカーが通っていったりするけど、まだレースは来ない。
さとみちゃんが、やっぱり取りにいく、と走っていった。
そしたら、ほら、レースが着た。

やっと選手たちが来たところだけど、「3につづく」!

20070917

ちいさな旅の一日:1:オロフレ峠を越えてゆけ(前編)


(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


9月16日日曜日、朝から晩まで遊び尽くした日のこと。
めぐりあわせもよくて、とても楽しかった。
長くなりそうなので、何度かに分けて書きます。



今年のツール・ド・北海道はオタルを出発して日本海側を周り
後志の町々を抜けて、羊蹄山や洞爺湖を巡り、胆振へ入った。
3日目のダテで日本チャンピオン・アラシロが総合リーダージャージを獲得し、
いやがおうにも期待の高まるなか迎えた4日目、ムロラン〜サッポロのステージ。
僕たちが観戦ポイントに選んだのは、山岳ポイントであり、
今大会の標高最高地点でもある、オロフレ峠。

さとう家の起床は4時45分。
窓の外はまだ暗く、朝というより深夜の雰囲気。
はーちゃんも起きてきたけど、いつもと違う様子をいぶかしく思っているみたい。
タイマー式お弁当が置かれると、お留守番だと気づき、不機嫌な顔をしていた。
でも今日中に帰ってくるからね、と言い聞かせて、出発。

交通費の節約のため、普通列車にしか乗れない「1日散歩きっぷ」を買う。
日帰り往復なら、普通のきっぷの半分くらいの値段になる。
6時12分の列車に乗る。

よっこは、実は鉄道好きである。と自分で言っている。
いわゆる「鉄」だ。
「鉄」にはいろいろあって、
乗るのが好きな「乗り鉄」、撮るのが好きな「撮り鉄」などあるらしい。
よっこは「寝鉄」だ。
いつも列車に乗るとすぐに寝てしまう。
でも列車が好きらしい。

ちなみに僕は「客鉄」だ。
客を見るのが好き。
客は、快速や特急より、普通列車が面白い。
今回の最大のヒットは、
なぜか始発電車にひとりで乗っている小学生の女の子。
てのひらに傷があるらしく、いっしょうけんめいテーピングを巻こうとするのだけど
これが、もう、絶望的に、不器用なのだ。
はさみを使ってもテープを切れないし、巻こうとするとテープはくちゃくちゃになる。
それでも彼女はいろいろ工夫しながら、おそらく無意味なテーピングを完成させた。

テーピングが巻き上がったあたりで、ノボリベツに到着。8時38分。
車で迎えにきてくれた「 gl(ジーエル) 」のふたり、ゆうすけ&さとみちゃんと合流。

これから選手たちが走ってくるレースコースを辿りながら、
観戦ポイントを定めるべくオロフレ峠へ向けて山を登っていく。
現地を通ってみて、改めて、選手はすごいと思う。
えんえんと続く、きつい坂道。
レースでは速さを競うわけだけど、スピードの問題ではなく、
この山を自転車で登ること自体が、想像を超えている。
テレビで観たアルプスやピレネーの峠なんて、
実際にそこで観たら、いったいどんなふうなんだろう。
いつか、いつか、観てみたい。

さて、ちいさな旅の一行は、雲のかかったオロフレ峠を登る。
やがてその雲のなかに突入、霧がかって視界が悪くなっていく。

まだオロフレ峠に到着しないけど、「2につづく」!

20070913

見られてる。

後ろから、見られてる。



またパソコンかよ、とか思ってる?



パソコン中、オヤツ食べすぎだよ、とか思ってる?



…あ、目そらした。

20070912

黒いつぶの正体

今週の初め、はーちゃんのアゴに小さなハゲを発見!

ハゲ自体はすごく小さいけど、
これって病院や毎日耳に薬を入れられたストレスだったのかなと思いながら、
よーくアゴを見てみると…なんか、ある。

極小の黒いつぶがアゴにくっついている。

なんじゃ、こりゃあーーー!?
あせるわたし。
あせって検索。

…答えはすぐわかった。
『 アゴの皮脂腺からでる分泌物 』だそう。
清潔にしておくと治るそうで、原因は体質。あとはごはんなどの付着物のせい。
たまたまはーちゃんはちょっと皮脂が多いのだった。
しかも口元が白いから、目立っちゃうのだ。
その皮脂のせいで、ハゲができたのかもしれないし、ストレスだったかもしれない。

ハゲの原因はわたしには特定できないけど、
とりあえず黒いつぶが悪化して、にきびにならないように、
ネット検索の結果、蒸しタオルやガーゼで拭くことにした。

今日で3日目だけど、少しずつよくなってきている。
悪くなりそうなら、すぐ病院へ!と思っていたのだけど、ほっとした。



でもはーちゃんは、アゴを拭かれるのが嫌い。

20070910

そうっとそうっと、

近づいているのに。







あ。

20070909

蔵出しはーちゃん(その1)

はーちゃん写真の膨大なアーカイブから
よりすぐりをご紹介します。



なんかふんばっているみたいだけど
このとき何があったのか
今となっては知る由もありません。

20070908

酵母VS大物

すっかり書くのを忘れていたけれど、火曜日ではーちゃんの通院が終わった。
結局、3回病院に行って、耳掃除、点耳薬投入をしてもらい、
家でも朝と夜に点耳薬を投入しもみほぐす、という治療で終了。
もう一度調べてもらったけれど、結局耳ダニはいなくて、
汚れもすっかりきれいになった。

はーちゃんは、「耳に薬を入れられる」のが
本当に、いやでいやでたまらなそうではあったけど。
そのせいか、少し食が細くなり、ちょっと痩せた。
通院も終わって、食欲が復活しつつあるけど、この体重を維持して下さいね、
と先生に言われちゃった…。

その先生には
「フーッ」とも「シャーッ」とも言わないはーちゃんをほめられた。
わたしたちも、いままで一度も威嚇されたことがない。


もしかして…

 ?

はーちゃん、実は大物なのか?

 !

そんなことないか。

20070906

うちの、



はこいりむすめ。

(羽を追いかけて、思わず箱へ入ってしまったものの、
とまどっている、はーちゃん。)

20070904

カサカサ

カサカサと袋の音がすると、「それ、はーちゃんの?」
とでもいうように、すぐよってくる。
今日もわたしがパソコン前でカサカサさせていると、
はーちゃん登場。

 くん

これ、マンゴーだけど?

 がくり


大抵、はーちゃんのではないのだ。

20070902

餃子のはずが、風車まで。

先週は、北広島までロードレーサーで行ってきた。
自転車仲間でもあるタマーさんのオーボエを聴きに。
芸術の秋到来かと思われた。

が、今週は開催中の『ダリ展』へ行こうかと言っていたのにもかかわらず、
「餃子食べに行く?」とのピコリの一言に、
思わず「行くっ」と力強く答えたわたしだった。
食欲の秋到来である。

やっぱり2週連続で走ると身体が軽いなあ、と思いつつ
わりと楽に目的地『あおぞら銭函3丁め』という名前の通り、
小樽市銭函3丁目にある、餃子屋さんへ到着。
11時オープンで、着いたのはその直後だったと思うけれど、
車がたくさん止まっていて、お客さんもたくさんいて驚く。
そういや自転車のひとはいなかった。

 「ジャンボ餃子定食」にした。

 がぶっと。


隣の席の、赤ちゃん連れご夫婦の
「夫の話がまったくもって面白くなく、妻に一度も笑顔なし、相槌すらなし」
という恐ろしい状況にハラハラしながらも、餃子はおいしく頂いた。
餃子の皮は、小麦粉に鶏がらスープをまぜて作っているそうで、もっちり。
具ももちろんおいしくて、満足の味とボリュームだった。
今度は水餃子を食べたい。

さて、帰ろうかと思っていたら、
ピコリに「腹ごなしに風車見に行く?」と聞かれる。
風車…。
そういやまだわたしは見たことがなかったから、うっかり「うん」と言ってしまう。
この返事は本当にうっかりだったよ!
うかつだったよ!

*

ここは小樽で、風車は石狩にあるのだった。

石狩…というか風車の場所が遠かった。
向かい風、しかも餃子でお腹が重いし、休憩後だから足も重い。
こいでもこいでも着かないというか、ここどこ?という感じ。
風車のある場所は、毎年行く『RISING SUN ROCK FESTIVAL』の会場近くと
聞いていたので、ようやく見覚えのある風景が出てきてホッとする。

でも会場近くを走り抜けても、まだ風車は見えてこない。
「風車は?」と聞くと、
「どこかな~?いつも適当に行って着くんだけど。」という答え。
適当に行く場所に連れて行こうとしてたのかよ!
確実な道を走ってくれよ!と思いつつ、仕方ないので必死に着いて行った。

やっと風車が見えても、近いようで遠い…。
到着したときにはへとへとだった。

 こっちは「かりんぷう」
 
 遠くに見える、「かぜるちゃん」


まあ、結果から言うと、風車はすごく気に入った。
一番気に入ったのは、風をきる音。
「ぶわわわーん」「ひゅるるるー」と、人工的に作られた風車なのに、音が心地よい。
ずっと聞いていたいような気持ちになる。

*

あとは、もう帰るだけ。
でも石狩新港というこのあたりがわかりずらいせいで、無駄にたくさん走った。
確かにRSRのときも、帰り道わかりずらかったよ…と後から思う。

日光に弱いわたしは、このあたりでもう頭痛がして、さらにへとへと。
何度も弱音を吐きつつ、
疲労回復に栄養ドリンクを飲んで、
ピコリに「ヨッコ、弱い」と言われつつ、
なんとか帰宅。

疲れた~。

意外と律儀です。




はーちゃん、
送っていただいたプレゼントの
「羽根のついた釣り竿」
が大好きで、
しかも、最近またちょっと痩せて身軽になり、
毎日、羽根を追いかけて激しく走っています。

激しく走っているうちに、事件は起こりました。
はーちゃん、勢いあまって
「猫草」のミニ鉢をひっくりかえし、
土をこぼしたのです。
まあ、被害は小さなものだったのですが・・

はーちゃん、なぜか猛省。

事件の現場に戻って、
うなだれるような様子で、こぼれた土を見つめ、
「これ、やっちゃった。かたしてくれる?」
とでも言うような感じで
ヨッコのほうを振り向いていました。
一度ならず、二度三度も同じジェスチャーを繰り返し、
片付け終わるまでは気にしているようでした。
そのあとは、また元気いっぱい走り出していました。

20070901

似てないって

エコバックをはーちゃんにも見せてみる。

 …

それ、はーちゃんなんだよー
 !

に、似てない?
 …

似てないか。

北海道な休日

大通公園で、毎年恒例の「ふるさと市場」が開催されていて、
朝から出かけて、海鮮の朝食を食べてきた。
ほたて、ほっき、つぶ、かに・・・

なにもかもは食べきれないので
「夜も来るか」とか「明日はあれ食べる」とか言いながら
ししゃも、ブロッコリ、はっか油を買って帰った。

環境配慮のPRブースで、エコバッグ手作り体験というのをやっていた。
ししゃもなどが入ったドイツ製エコバッグを背負いながら
無地のエコバッグをもらって、クレヨンでおえかき。
僕は自転車を、ヨッコははーちゃんを描いた。





帰りに東急ハンズに寄ったら
自転車に乗ったボルタに出会って、購入。





*ふるさと市場

*ボルタ