20070629

今日はTVっ子

撮りためておいたDVDを観ていたら猫が出てきた。
はーちゃんのお母さんみたいな色合い(黒と白で、手はもちろん手袋)。
小さい頭でなにを思っているのか、
TVに近づいてじいっと見つめるはーちゃん。

 「 ! 」

 「 ねこーーー 」

 「 あ、行っちゃう 」

 「 行っちゃった… 」

猫が居なくなった方向をずっと見ている。
見たいのかな?と何度もそのシーンを再生する。

なんか、ちょっと切ないんですけども。

でもそのあとミーアキャットの映像とかも、じいっと見ていたから、
まあ、なんか、こう、単に興味ってこと?

20070627

おそるおそる

窓の向こうから聞こえてくる音にもだいぶなれたはーちゃん。
今日は寝室の窓から外を眺めてた。
でも心拍数は早め…に見える。

ビビリっ子はーちゃんだからね。





でも、もっとビビッているのは私。
だって、押して開けるこの窓には網戸がない!
去年は、ここに鳩が止まって本当に驚かされたし。

はーちゃんも、鳩も、絶対通れない幅しか開けない私。

20070624

目標への遠回り。

ふたりでロードレーサーに乗ることにしたとき
「最初の目標は、どこ?」と、ヨッコに尋ねると
「すぐには無理だろうけど、モエレ沼公園かな」と言っていた。
ところが、豊平川サイクリングロードをはじめて下ったとき
すぐそこにモエレ山が見えていた。
あれれっ?
「ちょっと遠目の目標」だったはずのモエレが、もう、そこに。
いつでも行けるくらいの場所にあるじゃないか。

で、今日の目的地はモエレ沼公園。
催し物があるので見にいこう、という企画なのだけど、
案外と近いことがわかっているので
あえて遠回りをしていくことに。
当初の目標へ、遠回りをしていく、この余裕。
いい感じです。

今日の遠回りコース。
・混み合う札幌競馬場の前などを通って農試公園に入る。
 ※いつもより出発が遅かったので、車が多かった。
・発寒川の土手ロードから新川サイクリングロードへ。
 ※土手ロードとは、開発局の河川管理用と思われる舗装路である。
 ※新川ロードで一輪車のおじさんと出会い、あいさつされる。
・前田森林公園の手前を折れて、ちょっと石狩に入る。
 ※石狩に入った途端に、北海道な風景が広がる。
 ※ヨッコ、車の助手席のこどもに「がんばって!」と声をかけられる。
・新琴似から茨戸のほうへサイクリングロードを走る。
 ※途中、なぜか砂利道がある。ばかげたことだ。
・伏籠川の土手ロードを走り、途中から篠路新川沿いを走る。
 ※法律的に「道路」であるサイクリングロード(自転車道)よりも
  公道ではない土手ロードのほうがきちんと整備されている場合も・・
・モエレ沼公園に到着。外周ロードを一周。
 ※ヨッコ、念願のモエレ珠を食べて満足。僕も「海の噴水」を見れて満足。
 ※ママチャリレースと並走、ママチャリの人たち速すぎる。
・伏古拓北通〜伏古サイクリングロードを通る。
 ※北区・東区には危ない雰囲気と危ない運転の車が多い気がする。偏見か?
 ※伏古ロードは木の根がアスファルトを持ち上げていて、ぼこぼこ。
  こんなのMTBしか走れないよ。
・北18条通を走り、エルムトンネルの手前で北大構内へ。
 ※ここで雨に降られる。初の雨天走行。北大生の傘チャリ怖い。
・北大を抜けて、帰宅。
 ※北大構内でプチ迷子。

距離はそれほどじゃないけど、
暑かったり、寒かったり、
風に吹かれたり、雨に降られたり、
けっこう疲れる道のりだった。


発寒川の土手ロードは草に侵されている。


突然、北海道な景色に。


沼があったり。


最初の目標「モエレ沼公園」クリア。次の目標はどこだ?


モエレ名物「モエレ珠」。


たぶん、サツマイモの団子を揚げたもの。


美味い。


海の噴水。空高くまで吹き上がる。


ママチャリ耐久リレー大会。3〜10人のチームで、4時間を走り続ける。


必死で走っている人もいれば、面白く走っている人もいる。

ごはん中、

私たちがごはんを食べていると、
机の向こう側からはーちゃん登場。
何を考えているのか、こっちを見たり、見なかったり。







ときどき、一切れもらえたりするけどね。

20070623

ロードレーサーに乗れない日には、

平日は毎日、毎日、週末を待ち遠しく思う。
だって、週末にはロードレーサーに乗れるから。
それなのに週末に雨が降ると、悲しい。
だって、雨降りではロードレーサーに乗れないから。
(乗る人もいるだろうけど、僕は乗りたくない)

今日は、ほとんど晴れだったのだけど
かんじんの朝の時間帯に雨だったので
ロードレーサーはなし。
そのかわり、「ふだん乗り」用に買った
ミニベロ(小径車)でお出かけ。

ざっと道のりを書き出すと・・
・まずは宮の森美術館で「森山大道写真展」を見る。
・ケンタッキーでレッドホットチキンを食べる。
・宮の森から丘を越えて円山に移動。
・器屋さんに寄って、買えない器をホレボレと眺め、
・お箸を買う。
・土曜だけ車で移動販売している「ひもの屋」で
・ほっけとか、銀がれいとか、買う。
・いったん家に戻って、ひものを冷蔵庫に入れる。
・道立近代美術館で「野田弘志展」を見る。
・ほっけを食べるのに欠かせない大根を買いにスーパーへ行く。
・クリーニングを受け取って、帰宅。

ロードレーサーは、純粋にスポーツ車なので、
実用性はまったくない。
通勤に乗っている人も見かけるけど、
あれは非実用車に乗っている代償を
なんらかのかたちで払っているはずだ。

町をぶらぶら散歩して、気になったところに立ち寄って、
ついでに用事も足して・・というようなことは
ロードレーサーではやりにくいし、
その乗り方ではロードレーサーが活きてこない。
逆にミニベロは、漕ぎ始めが軽くて、小回りが利いて、
おまけにかわいいので、町で乗るには最適。

今日はそんな、ぶらぶら自転車の日。
こういうのも楽しい。
でも明日はロードレーサー乗るぞー!おー!



森山大道写真展@宮の森美術館
大道に撮られると、
タイヤも、ゾウも、路地も、マネキンも、
ぬめぬめとする。



「ひものや万両」の移動販売カー。
店主さんが「うん、これがいい」と言って選んでくれる。
今日の夕食は、ほっけ。いや、これ、まじで美味い。



通りがかりに気になったもの、その1。
ビューティーサロンあべじろうの店、営業中。



通りがかりに気になったもの、その2。
札幌こども専門学校、通うのはこどもではない模様。

20070621

にぼしダッシュの続き

はーちゃんは横着なので、
寄りかかったりしながら煮干をもらう。
寄りかかる場所がないときは、

 「 にぼし! 」

 「 と、届かない 」

 「 はむ 」

結局、手を下げてもらって食べるはーちゃん。
甘やかし?




結構なかよし。

20070620

にぼしダッシュ

はーちゃんのおやつの煮干。
あげる係のピコリがガサガサ音をさせると…。

 「 もしかして、にぼし? 」

 「 にぼしだ! 」

確証した途端、ダッシュするはーちゃんなのでした。
いつも真剣だ。

20070618

私信

ぎゃー!

全然まったくコメントのないこのbroccoriに、
コ、コメントがあった。
しかもそれは5月10日のこと…。

ごめんよ、mio。
無視したわけじゃないんだよ。
気づかなかったのよ。


はーちゃんからも。
 「 ごめんにゃ 」

自転車の国のジャポネ

GIRO(ジロ)―イタリア一周自転車ロードレース写真集


サイクルロードレースの写真を専門にしている
カメラマン砂田弓弦さんの『GIRO』という本を読んだ。
1990年から2001年までの、12年間のジロ・デ・イタリアを
写真とコラムで振り返っているもの。

振り返る、と言っても、
レース展開を事細かに再現・記録しているのではなくて、
「あの年は、こんなだったねえ」と語っている感じ。
レースのなかのできごとだけではなく、
取材する立場で参加したジロを、当事者として語っている。

砂田さんの仕事は、日本のメディアではなく
もっぱら海外メディアから収入を得ている。
日本の仕事じゃ飯を食えないと砂田さんは言うけど
それだけじゃなく
グランツールでレースコースを走るオートバイから
写真を撮ることのできるカメラマンは限られているし
当然、世界市場での仕事をしていなければ
それを続けていくことはできないだろうと思う。
砂田さんは
ロードレースのトップカテゴリーに関わっている、
数少ない日本人のひとりなのだと思う。

かつて、パンターニとチポッリーニという
カリスマ的なイタリア人スター選手がいた。
砂田さんが『GIRO』で語っているのは
彼らがレースを走っていた時代のことだ。

過去のレースのことを知ると、
このまえまで毎晩夜更かしをして見ていたジロも
よりいっそう感慨深いものになる。
集団のボスとして振る舞っていたベッティーニの、まだ若い姿。
シモーニがイタリア人に愛され続けている理由。
ガルゼッリが優勝したときの泣けるエピソード。

いつか、10年くらい先に、
今の若手がベテランと呼ばれるようになった頃、
「シュレックは若いときからやたら強くてね」とか
「リッコはシモーニのアシストだったんだよ」とか
そんな話をしているのかもしれない。

ところで、
現在のロードレースのトップカテゴリーに関わっている日本人と言えば
なんといってもリクイガスの中野喜文マッサーだ。
中野さんは、ジロ総合優勝のディルーカを
専属的に担当しているというのだから、もっと注目されてもいいと思う。
マッサーというのは、マッサージだけではなく
栄養管理、体調管理にとどまらず、精神面のフォローまですると言う。
ディルーカのジロ総合優勝を影で支えていたのは日本人だったんだよ!
ということは、もっともっと語られてよいと思うのだけど・・・

そして、
現在日本人としてただひとりプロツールチームに所属する
ディスカバリーチャンネルの別府史之選手は
まさに今、ツール・ド・スイスに出場中。
自分のために走ることのできる立場ではないことはわかっているけれど
どこかで見せ場を作ってくれることを期待している。

20070617

モディリアーニの《物語》あるいは1918年の《パリ〜ニース》

6月16日のサイクリングは
豊平川サイクリングロードを通り、もっと先へ進み、
札幌芸術の森へ。
はじめての、目的と目的地のあるサイクリング。
目的というのは、芸術の森美術館で開催中の
「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」。

ハリウッドが映画化したほどにセンセーショナルな
モディリアーニとジャンヌの《物語》を
ふたりの画家の作品と資料から構成する展覧会
ということになるのでしょう。

しかし、僕の頭であらゆる考え事は
自転車を中心に回っている(サイクリング)ので
考え事はモディリアーニとジャンヌの《物語》から逸れていきます。

パリでの生活のなか、酒と麻薬におぼれ、
心身ともに壊れかけたモディリアーニは
転地療養のため、1918年、パリからニースへ旅立ちます。
およそ1年の滞在後またパリへ戻り、さらに1年後には病死するのですが、
ニース滞在中には束の間ながらも幸福な時間を過ごし、
その間の作品は色調も明るいと言われています。

というような筋書きに《物語》が差しかかったところで、
僕の頭のなかでは
「おっ、《パリ〜ニース》だ」
と自転車スイッチが入り、脱線していきます。

《パリ〜ニース》、
その名のとおりパリ(の近く)からニースまでを
1週間余りにわたって自転車で走っていくレース。
春のはじめに開催され、温暖な南フランスへ向かうことから
「太陽のレース」とも呼ばれます。
現在はプロツールの初戦として、
シーズン到来を告げるレースでもあります。

モディリアーニがパリからニースへ移り住んだ1918年、
ちなみに同じ年にマティスもニースに居を定めているのですが、
その年の《パリ〜ニース》はどんなレースだったのでしょうか。
その答えは・・・
《パリ〜ニース》の初開催は1933年を待たなければならないので
1918年にはまだレース自体がありませんでした。

でも、もし、すでに《パリ〜ニース》があったとしても
1918年には開催されなかったことでしょう。
と言うのも、時節、第一次世界大戦のさなかです。
ツール・ド・フランスも、ジロ・デ・イタリアも、
1915年から1918年までは不開催でした。
ロードレースが中断されていた間、
自転車は戦争に使われていました。
パラシュート部隊が自転車を背負って降下したり・・・
第一次世界大戦は1918年11月に終結、
翌年からはツールもジロも再開されています。
その後、第二次世界大戦にもまた
ツール、ジロ、もちろん《パリ〜ニース》も中断されました。

2007年の《パリ〜ニース》の優勝者は
ディスカバリーチャンネルの24歳スペイン人、
アルベルト・コンタドール。
脳幹部海綿状血管腫という難病のため
レース中に倒れたが一命を取り留め
競技どころか、日常生活への復帰も難しい状況から
ロードレースに帰ってきた選手だそうです。
いま開催中のドーフィネ・リベレに出場中、
ツールでどんな活躍をしてくれるか楽しみです。

20070611

100キロ走った!!

よっこは歯の治療中のためお留守番で、
あらたに自転車仲間になったタマーと2人で
「ジロ・デ・サッポロ」なんて称して
札幌を大回りするサイクリングに出かけた。
終わってみれば100キロの道のりだった。

このまえまで観ていた「ジロ・デ・イタリア」を気取ったわけだけど
ホンモノの「ジロ」は1日に200〜300キロ、何日も続けて走る。
それに比べたら、100キロの「ジロ」はささやかだけど
初心者にとっては大冒険だし、大記録だ。

最初は、以前にも走った白石サイクリングロードを北広島まで。
北広島市内の周回サイクリングロードを1週したあと、厚別まで戻る。
そこから野幌から雁来へ。
このへんはサイクリングロードがあったり、なかったり、切れていたり。
豊平川サイクリングロードに入るまでに何度か迷子になる。
でも、ほんとうの迷子は、もっとあと。

豊平川沿いの、サイクリングロードではない、
たぶん河川管理用の、「一般車両通行禁止」の道を走る。
すぐ脇にあるサイクリングロードの3倍くらいの広さがあって
安全、快適な場所なので、「手放し乗りガッツポーズ」の練習をした。
いつか優勝したときのために(なにで優勝するのか不明)。

豊平川の道が終わって、砂利道を下ると、砂利道が続いていた。
そのうち舗装路に出るだろうと思ったら、どこまでも砂利道だった。
舗装路に出ないまま、畑に入っていく。
自転車を押して行く僕たちは、農作業のかっこうで休憩している
おそらくは、その土地の持ち主と思われる人たちに出会う。
そして、その道はどこにも通じていないことを知る・・
やむを得ず、また砂利道を引き返していく。
自転車に乗っているあいだは、そんなに疲労を感じないのに、
自転車を押して歩くと、どっしり疲れが押し寄せてくる。

あいの里から前田へと走る。
大回りなので、辺境の地名が続く。
前田あたりから、どうも腹具合が悪くなってきた。
新川サイクリングロードをだましだまし走ったけど
一般道に出てからトイレに駆け込んだ。
どうも、自転車に乗っていると、おなかが冷えるらしい。
腹巻きが必要か?
(いや、途中で食べたシャーベットのせいかも?)

・キットカットを食べると、細胞からパワーがわきあがってくるようだった。
 糖分って、すごい。
・今回、ちょっとサドルを上げてみたら、ぐっと走りやすくなった。
・日焼けして、サングラスの跡が残ってしまった。
・回を重ねるごとに、ちょっとずつだけど走れるようになっていく実感がある。
 30歳にもなると「自分が目に見えて成長する」なんてのは
 そんなにしょっちゅう感じられるものでもなく、これは楽しい。

20070609

ピンポンぎらい

「 ピンポーン 」

鳴るたびに、猛ダッシュで安全な場所へ隠れるはーちゃん。
安全な場所=寝室のクローゼットの中…
寝室は玄関側だから、わざわざ逃げるよりは
どっちかというと居間にいる方が安全だと思うのだけど。

うちではAmazonを筆頭に通販を使う頻度は高いほうなので、
ピンポンが鳴る回数は多いのかもしれない。
でも品物を受け取ればすぐ帰るし、怖くはないと思うのだけど。

だいぶ慣れてはきたようだけど、
とにかくどうしてもピンポンが嫌いらしい。
なにかいやな記憶でもあるのかなあ。


ピコリや私が鍵を開けて帰ってくると、
これまたダッシュでお迎えしてくれるのに。



小さな頭の中で何を思っているのか。
ねえ?

20070608

がぶり

忍び寄る指。
うにににに。

 「 ! 」

 「 んがああああ 」

 「 が! 」

 「 ぶーーー! 」

歯がささってるって!
こんなの日常茶飯事。

結構、痛い。

20070605

イタリア一周、3週間の旅

青い空、青い海。
イタリア一周、3週間の旅から帰りました。
パスポートないですが。

「第90回 ジロ・ディターリア」という、
3週間にわたってイタリア一周する自転車レースがあって
毎晩、毎晩、眠い目をこすりながらテレビ観戦をしていました。
そのためにテレビを買い、
そのためにケーブルテレビに加入したのですから
観ますよ、そりゃ。
3週間が過ぎ、日常が戻ってきたのだけど
生活サイクルが崩れているので、まだ眠い。
ある意味、時差ボケです。

ジロ、
3週間にもわたってイタリアを一周しようという
スケールが凄い。
しかも、ただ一周するのではなく
あえて走りたくないような場所を選んで走るところが凄い。
走りたくないような場所というのは、たとえば、
風のきつい海沿いの道だったり、
急勾配の坂が延々と続く山だったり、
曲がりくねった狭い路地だったり。
コースレイアウトは、主催者が
レースが盛り上がるように設定するわけだけど、
それにしたって走りたくない道だ。

自転車レース観戦の面白さはなんだろうか、と思う。
どうも、うまく言えない。

選手たちが走っていく道沿いの景色が美しい。
山や海、街や田園。
競技の「場」がスタジアムではないところがよい。
だって、そこは道であって、
スポーツの場である以前に、生活の場なのだ。

駆け引きや、人間関係が面白い。
チーム内の人間関係、チーム同士の利害関係。
自転車はひとりで乗るから、もちろん、個人が走る。
でも、チームとしての目的や戦略があり、
9人(リタイアがあれば減るけど)チームメイトが
役割分担をしながら連動して動いたり、動けなかったりする。
チームとは別に、偶然ひとかたまりになった小集団のなかで
利害によって協力体制が組まれたり、崩れたりする。
200人近い大集団は、個々人やチームを越えた
集団としての意志をもつ生き物かのように姿を変えながら動く。

自分もちょっと自転車に乗ってみて、
選手たちは、ほんとうに逞しいのだとわかるし
アスリートと呼ばれるにふさわしいと思うのだけど
それとはちょっと別の視点で
自転車ロードレースは、純粋なスポーツとは少しずれているような気がする。
どこか旅のようでもあり、
どこかゲームのようでもあり。

ていうか、競技中にお弁当を食べるスポーツなんて、
他にないんじゃないかな・・

イタリアの旅から帰って、ひと息ついたら、
つぎはスイス一周、1週間の旅に出ます。
スイスの景色も楽しみです。

20070603

アメとムチ

平日は大体、6時頃起きようと思って目覚ましをかけている。
でも基本的に目覚ましの前、日によっては4時台、5時台に
はーちゃんの鳴き声で起こされる…。
今日は日曜だし、ちょっとゆっくり寝ていたかった。
なにせ、ここ3週間は『 ジロ・デ・イタリア 』観戦で毎日睡眠不足だから。
なのに、朝というより早朝にそれは起こった。

スヤスヤと寝ていたはずの私の上、しかも胸の上に
はーちゃんがジャンプして、着地したのだ。
「 ぐぇ 」
鈍い声を出す私。
悪びれるはずもなく、平然とそのまま横切ってベッドから降りていく。
「 い、いま何時? 」とよろよろと時計を見ると、4:30。
早い!早いよ!!

ちょっと悲しくなりながら、いつの間にかまた寝てしまった。
どのくらい経ったのか。
また、同じようにジャンプ、着地されて目が覚めた。
今度はそのまま私の上に座るはーちゃん。

寝たふりをしていると、肉球で頬骨のあたりをちょいと押された。
「 ! 」
びっくりした。
この起こし方はちょっとうれしいじゃないの。
いそいそと起き出す私。時計を見ると、6:30だった。



はーちゃん(寝ている私の上)、ねえ、



重いよ…。

海へ。

よっこが歯医者に通い始めて
「歯を食いしばれないので自転車に乗れない」ので
ひとりで乗りにいくことにした。
行ったことのない方面を開拓しようと
今日は新川サイクリングロードへ。

新川のサイクリングロードは
豊平川や発寒川よりも狭い。
そしてロードの両脇に背の高い草が生い茂っている。
追い抜いたり、すれ違ったりするときには
草に突っ込む感じになる。
でも、人も犬も自転車も少なくて、走りやすい。

やけに青々と晴れた空のしたで、
背の高い草のなかを走っていると
夏休みっぽい気分だった。
今日は気温もけっこう高くなっていたし。

どこまで行こうとは決めていなかった。
だから「どこまで行こうかな」と思いながら走っていく。
サイクリングロードが終わっても
新川沿いをまっすぐに行き、手稲前田を過ぎ、
小樽銭函に入って道を折れ、石狩湾新港へ。
海が近いけど、海は見えない。
ただ、海からの風が強く吹いてくる。

だんだん疲れてくるし、帰りも走らなければならないので
「もうこのへんでやめておこうかな」と思いながら、走る。
でも、「もうちょっとだけ先へ行こうかな」と思って、まだ走る。
きりがない。
きりをつけられないまま走る。

風力発電の風車が回っているのが見えた。
あそこまで行こうと思った。
向かい風が、自転車の走りを重たくする。
草木は風に揺れている。
トンビは風に乗っていく。
風車の根元まで行って、アスファルトに寝転んで、
風車が回るのを見上げた。
真っ青の空に吹く風が、真っ白の巨大な羽根を回す。
グウン、シャー、グウン、シャー、と
重い音と、鋭い音が鳴る。
たぶんナントカ力学みたいなので計算された風車の羽根は
きれいなかたちをしている。

・海はちょっとだけ見えた。釣り人が溢れていた。
・どこかの会社の駐車場でラジコンしている人もいた。
・石狩湾新港は車道が広いのに車が少なくて、自転車に向いている。
・石狩美術館というのができていた。行ってみたい。

20070602

ひなたがある日は

最近は朝曇っていることが多くて、
なかなかはーちゃんのひなたがなかった。
「はーちゃんのひなた」と呼ぶ場所は、
朝だけ日の当たるところ。

朝の運動会(一人でうなりながら走ったり、
ねずみのおもちゃと格闘したり、
とにかくアクティブ!アクティブ!な時間)を終えたあと、
はーちゃんが毛づくろいする場所でもある。
「今日ははーちゃんのひなたがあるよ」と教えると、
おもむろにそこへ行っては、念入りな毛づくろいをする。



終わったら寝る。
シンプルだ。