20100223

第2位:DOGS DON'T EAT IT, HOW DO CATS DO ?

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などと申します。
「犬も食わぬ」は、誰もとりあわない、ということで、
夫婦喧嘩している当人たちは大まじめだが、
端から見れば、ばかばかしく、
誰も相手にしないということである。
同じことを「夫婦喧嘩と夏の餅は犬も食わぬ」ともいうらしいが
夏だろうが冬だろうが、犬に餅を食わせてはいけないだろう。

「犬も食わぬ」とほぼ同義で「猫またぎ」ともいう。
魚が大好きな猫が、またいで通りすぎるほど不味い魚。
猫はたぶん、夏の餅はまたぐだろう。
冬の餅もまたぐだろう。
では猫よ、夫婦喧嘩はどうか?

うちの夫婦はあまり喧嘩をしない。
理由を考えてみるといくつかあって、
1)ふたりとも大雑把で無頓着だから
2)ふたりの不愉快のツボが似ているから
3)夫婦というより友達だから
4)夫婦というより母子だから
などなど、複合的な理由から、あまり夫婦喧嘩にならない。
たまに喧嘩のようになっても、
発端を思い出せないほど無意味で、
単にひっこみがつかなくなっただけという口論ぐらい。
こういうのを「売り言葉に買い言葉」などと申します。

ただ、深刻さに欠けた喧嘩とはいえ
めったに喧嘩をしないだけに
どう収束すればよいのかわからず
出口が見えないまま
中身のない言い合いがエスカレートしていくと
いよいよ幕引きが難しくなる。
こんなものは犬も食わない。
猫もまたぐだろう、
と思いきや、
うちの猫は違った。

猫はまったり寝転んでいたのに
わざわざ起き上がり、
トコトコと進みでて、
にらみ合っている夫婦の間に割って入り、
ふたりを見上げて、
ひとこと「ニャア」といった。


「挨拶は時の氏神」などと申します。
この挨拶というのは仲裁のことで
争いごとの仲裁人は神のようにありがたいものだというが
まったくそのとおり。
やめたいのにやめられない喧嘩は
「ニャア」のひとこえで、即、終戦。

「子はかすがい」などと申します。
うちでは「猫はかすがい」。
その後も2人と1匹で仲良く暮らしていますというだけで、
この話、ぜんぜん面白くならない。
第2位なのに。
ただの猫じまん、猫のろけである。

余談だが、「子はかすがい」と聞くと
ウナギが食べたくなるというのはもう
けっこうな落語ホリックかもしれない。

20100222

22222



にゃんにゃんにゃんにゃんにゃーん。
にゃんが5つもならんだ猫の日。
はーちゃんおめでとう。
おめでとう、であってるのか?

20100221

第3位:怪奇現象/点描表現/摩擦係数

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


あの日の夕食は、なんだったっけ。

思い出せるわけもないので、思い出す努力もしないが、
生活のディテールはいともたやすく失われていく。
日記をつけることで解決するほど単純な問題ではない。
夕食の献立に限ったことを言っているのではない。
生活のディテールをくまなく記録することなど不可能だ。
生活のすべてを情報化することなどできない。
あの日、献立は思い出せないが、おそらく何かを食べたのだ。
それが生活の集積としての人生である。

ただ、なにもかもが忘れ去られたわけではなく、
具材としてはホタテ、それも、たぶん冷凍のベビーホタテだった。
わずかな手がかりではあるが、
ベビーホタテをどのように調理したのかと推理を進めることはできる。
たとえば、チンゲンサイとともにオイスターソースで炒めたかもしれない。
あるいは、単にバター焼きにしたかもしれない。
その他にはあまり思い浮かばないところをみると、
我々は失われた過去の献立をほぼ突き止めたかもしれない。
真相のすぐ近くまで接近している。
だが、そこが限界だ。
これ以上はわからない。
もしこれが検察の捜査案件だったならば、
嫌疑不十分のため不起訴とせざるを得ないだろう。
それでも、オイスターソースだったか、バターだったか、
いずれかであった可能性が濃厚であると情報リークぐらいはしたい。

あの日、布団に入ったのは、何時だったっけ。

これもまた失われた生活のディテールである。
思い出せるはずもない。
ただ、ほとんどルーティン化している日常生活のパターンから推測すれば
早くても22時すぎ、どんなに遅くとも25時くらいのことだろう。
着替えて、布団に入り、電灯を消した。
この順序は記憶ではないが、確信できる。
あとはアンコウが提灯をぶら下げているくらい深い眠りに
ずぶずぶと沈み込んでいくばかりだった。
が、眠りが訪れるまえに事件が起こった。
記憶が失われても再現できるほどありきたりな日常に
まえぶれもなく怪奇な現象が起きたのである。

それは、あの日、はじめて聞いた物音だった。

どこでなにが音を立てているのか、まったく見当がつかなかった。
この世のものとは思えないほど不気味な音が暗闇のなかに響いていた。
しかも怨念のように執拗に鳴り続くため「気のせい」と済ますこともできない。
擬音で表せば、ザリリイィ、ザザリイィ、ザァリリイィ、というような、
そして、絵にするならば、水木しげるの点描表現のような、
率直にいって妖怪じみた響きだった。
というか、もう、妖怪アカナメが来たとしか思えなかった。
しかし、鉄筋コンクリートのマンションの6階にも
妖怪は現れるものだろうか?
サンタさんは来るのだろうか?

で、まあ、
明かりをつけて台所に行くと
猫が飛び出してきて
猫の去ったあとを見ると
夕食に食べたベビーホタテの入っていた
発泡スチロールトレイが落ちていた。
蛇足ではあろうが、
このたびの妖怪出没事件について科学的に説明しよう。
これだけひっぱって、これだけの話なものだから、
くどくど説明でもしなければ収まりがつかない。

私たち人間の舌にも糸状乳頭という小さく固い無数の突起があるが、
これがネコ科では特に発達しており、ヤスリのようにザリザリしている。
肉食獣であるネコ科動物たちは、獲物を狩り、牙を立て、
最後にはザリザリした舌で、骨から肉をこそぎとって食べるのだ。

一方、発泡スチロールはポリスチレンを発泡させた合成樹脂である。
泡のように、固体と気体が入り混じっているために
軽く、衝撃に強く、保温性に優れており、
この性質を活かして緩衝材や断熱材として利用される。
気泡が含まれているため滑らかではなく、
製造方法にもよるが粒を寄せ集めたようなザラザラした荒い手触りがある。

ザリザリした猫の舌でザラザラした発泡スチロールをこすると、
摩擦係数が大きいため、思いのほか大きな音を発するだろう。
この音は擬音で表せばザリリイィというような、
聞く人が聞けば妖怪じみた印象を受けかねない音色になることもある。

幽霊の正体見たり枯れ尾花、
と昔の人はいった。
わかってみれば、どうということもない。
だが、一瞬とはいえ、妖怪の存在をリアルに感じたのだ。 
生活のディテールは失われ続ける一方、
科学的な事実とは乖離した内的体験のリアリティは
大脳皮質に深く刻み付けられる。
それが主観的な経験としての人生である。

その後も、
鶏肉を食べた日の夜にバリバリと骨を噛み砕くような音が響いたり、
鍋をした日の翌朝、床にダシにした昆布が鍋から逃げ出したり、
皿に乗せていたアンパンが5メートル以上さきの床まで移動したり、
我が家では怪奇現象が立て続いている。
我が家の新婚旅行の行き先が
ハワイでもヨーロッパでもオーストラリアでもなく
「鳥取・島根・山口をめぐる山陰旅行」という
ハネムーンというよりもフルムーンのようなチョイスであり、
その最初の目的地が境港市「水木しげる記念館」だったことに
関係するようにも思うが、科学的には証明しがたい。


20100220

第4位:フラッシュバックパーマネントピクニック

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。

ピクニックという高度な遊びに対する漠とした憧れが
いつからか、そして、いまだに、もやもやとある。
遠足やハイキングではなく、海水浴やバーベキューでもなく、
ピクニックはあくまでもピクニックとして行われる。
ピクニックをその出自に基づき定義するならば
「戯れに屋外化された社交パーティ」となるだろう。
そして、その規定を厳密に適用するならば
私はピクニックに縁がないと認めざるを得ない。
漠とした憧れを断ち切る思いで認めるしかない。
私に社交性がないこと以前に、
私が社交界に属していないこと以前に、
日本にはそもそも社交界などないからだ。

しかし、ピクニック概念をそこまでラディカルに限定し
自分ばかりではなくすべての日本人を道連れにして
ピクニックからの疎外へと追い込むこともあるまい。
包容力と弾力性のある鷹揚な受容と運用により
異文化を消化・吸収・発展の挙げ句に
ほとんどまったく新しいものに作りかえてしまうのが
我ら日本人の古来からの伝統である。
古くは中国から伝わった漢字を崩して仮名文字を生み、
同じく中国発祥の喫茶文化を茶道にまで昇華させた。
あるいは、中国文化の受容の、より卑近な例を挙げるならば
拉麺がラーメンへと展開されていった歴史を紐解くべきか。
ラーメンのヴァリエーションは増え、細分化され、
日本国内の小地域にくまなくご当地ラーメンが生まれるに至り、
また別途、湯を注いで3分待つだけのカップ麺がマーケットを広げ、
宇宙にまで飛び立った。
日本人なくして宇宙ラーメンはなし。
いや、待て、ラーメンの話ではなかった。
ほんとうはさらに、仏教の宗派のことや、
テンプラ・カステラ・キリシタンのことや、
カレーひいてはカツカレーのことや、
スパゲッティナポリタンのことや、
さらには自動車産業や家電産業の栄枯盛衰にまで広がる問題圏であるが
これ以上は日本人論を展開している場合ではない。
本題はピクニックである。
もうちょっとぼんやりとしたイメージに基づき
ピクニックとは芝生に敷物を広げてコジャレた弁当を食べるもの
という程度の整理を、暫定的に採用したい。
サンドイッチかなんか食べて、ワインでも飲むのだろう。
しかし、私はやはり、昼間から酒を飲むことを好ましくは思えない。
カップ酒ではなく、ワインだったとしても、事情は変わらない。
正月の朝から酒を飲む風習さえ、どうかと思う。
どうかと思いながら正月は飲むが、飲まなくてもいい。

どうも話が進まない。
ピクニックという漠とした憧れの対象への
複雑な心理が主題への接近を禁じているようだ。
抽象的なアプローチでは話が猫まで届きそうもない。
具体的な事柄から語り始めるべきだったのだろう。
たとえば、その日の天気であるとか、そういう具体的なことから。

5月のある日、青い空、白い雲。
ピクニックにはうってつけのお天気、ピクニック日和。
水筒にコーヒーを入れ、敷物と本を用意した。
早く起きた休日、午前のうちから出かけ、
近所にある知事公館が一般に開放している広い庭へ行く。
陽射しに輝く青々とした芝生、
おだやかな風が爽やかに吹き抜けていく。
ふだんは家から出られない猫は
草の匂いに、
飛ぶ蝶の軌跡に、
空の広さに、
刺激に満ちた世界のすべてに、大興奮である。
喜んで駆け出そうとする猫を
あわてて追いかけていく妻の姿を
ほほえましく見送って、
私はコーヒーを飲みながら
本のページをめくる。

……という、簡易的ではあっても
小市民的に幸福なピクニックになるはずだった。

が、猫はピクニックを好まなかった。
猫が社交界に属していなかったとか、
十分なだけピクニックが日本の風土に適合されていないとか、
そういうことではなく、
野良あがりの猫は、たぶん、また捨てられると思ったのだ。
子猫時代、毎日がピクニックだった。
地獄のパーマネントピクニックがフラッシュバックした。
脳裏によみがえる恐怖の数々。
飢えや、寒さや、身を脅かす外的の脅威。
もう外の生活には戻りたくない。
そういうことだったのだろうと思う。
バッグから出ようともしない。
バッグから出すと、スカートにもぐりこんで身を隠していた。


ピクニックは失敗に終わった。
完全に、疑いの余地なく、失敗だった。
過ちであった。
家に帰ったら、急激なストレスのせいだろう、
猫はフケだらけになってしまった。
すまないことをした。
すまなかったよ、はーちゃん。

ちいさい春みつけた

村に移り住んだ友人がいる。
三日月湖のほとりの家に住んでいて、ずいぶん広い庭がある。
半分は畑だが、半分はまぎれもなく庭で、立派な樹が植えられている。
秋になって枝が落ちたりするというので、頼んで分けてもらった。
マツとオンコとツゲの枝が送られてきた。

さて、しかし、分けてもらったが、どう扱ったものか、わからない。
世にいう挿し木とは、想像するに、こういうことだろうと、
もらった枝を鉢の土に挿しておいた。
挿して、なんとなく水をやっていた。
そのあとどうなるのかは不明だったが、根でも出ればもうけものである。

まず変化したのはマツだった。
日を追うごとに変色し、鮮やかな緑色がくすんだ褐色になっていった。
これは、端的にいって、枯れたのだった。
マツは枯れた。
だけど、マツに関していえば、
わが園芸部にはマツボックリから育ててきた
文字どおり「生え抜き」のマツたちが所属している。
なので、枯れたマツには申し訳ないが、それほど残念でもなかった。

次に変化したのはオンコだった。
オンコというのはアイヌ語由来の呼び名で、
内地のほうではイチイという。
樹に関しては別に「イチイ」でも構わないという思いはある。
しかし、あのくりんくりんした赤い実は
どうやっても「オンコの実」としか思えない。
譲れない一線である。

オンコは新芽を出した。
深い濃い緑色の先端から、新緑が芽吹き、
説明もなく送り込まれた見ず知らずの土地に根ざし
ここで生きていく意思があることをオンコは宣言した。
その意気込みを買い、
とっておきの鉢に、我が園芸部の主力であるコケまで張ったうえで
植え替えてやった。
当初の意気込みのわりには、その後いまいち育たないが、
それでも、まあ、枯れるでもなく、オンコは我が家の住人になった。

マツが枯れ、オンコが帰順したあとも、ツゲは沈黙を保っていた。
ツゲは、枯れるでもなく、育つでもなく、黙っていた。
土に挿されてはいるが、生えているといえるものか、わからなかった。
枯れてはいなかったが、徐々に葉を落としつつもあった。
とはいえ、落ちていない葉は健やかな緑色であり、
いまもなお光合成を続けているように見えた。
なにかの足しになるものか不安ではあったが、
他にできることもないので、水だけはやっていた。

すると、ある日、枝の先にごく小さな球体というか、
マラカスのようなものがいくつも現れた。
植物の変化は緩やかであるようで、いつも突然だ。
ある日、突然に、マイクロサイズのマラカスが現れた。
ほのかに緑がかったマイクロマラカスの束の出現により
ツゲの沈黙は破られた。
長い沈黙のあと、ツゲがなにを語りだすのかと、私は耳を澄ませた。
しかしツゲは語るのではなく、小声で歌い出したのだった。

そうか、マイクロマラカスは蕾であったか。
ツゲの枝の先に、ちいさなちいさな花が咲いた。
なんともかわいらしい春の先触れだった。

(左上の枝は蕾、右下の枝にちいさな花)

(どのくらいちいさいか、携帯電話でサイズ比較)

だがツゲよ、花のあとはどうする気なのか、
もう少し語ってもらえぬものかな。

20100211

充電中





サンジャーと一緒に充電中。
電気を消すと、ほのかに灯るサンジャーと
電気を消すと、部屋の探検(おもに机の上)を始めるはーちゃん。

20100210

はやとちり

今朝、いつものように朝ごはんのあと、出勤準備をしていたら、

はーちゃんが洗面所にも居間にも部室にも、わたしの行くところ行くところついてくる。

だいたいこの時間のはーちゃんは、寒い中、出勤しなければならないわたしを

うらやましがらせるかのように、ストーブ前でまったりとしているのに。


どうしたの?なんて訊きながらも、準備をすませて玄関を出ようとすると、

はーちゃんが走って追いかけてきて、

一緒に出ようとした。

そんなことは初めてだった。

ドアに挟まるほどの勢いだった。

びっくりして、とっさに「ダメだよ!」と言ってしまった。



会社までの道を歩きながら、はーちゃんの行動を考えていたら、

はーちゃんは、はやとちりしてしまったのではと思い当たった。



今年はゴールデンウィークに旅行に行く計画がある。

行く場所はなぜか、ハワイ。

なぜかとつくのは、わたしたちにハワイ的な要素が皆無だから。

でもなぜか、ハワイ。

なぜかというと、ピコリ母の退職記念に便乗するから。


そんなわけで、旅行中のお留守番はーちゃんのお世話をまたaikoにお願いした。


昨日、ちょうどうちに遊びに来ていたaikoがはーちゃんに、

「またよっこいなくなるんだよー。aikoがくるからねー。」と話しかけていた。

わたしも「はーちゃん、よろしくねって言わなきゃー」なんて、

話しかけていたのだが。



旅行は5月だよ、とは言わなかった。



はーちゃんは、もう、今日、出かけちゃう!と思ったに違いない。

はやとちりとはいえ、余計な心配をさせてしまった。

はーちゃんは小さい頭でいろいろ考えているのだ。





20100209

第5位:越後は夏、猫に待たれながら旅をするなり

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


人は旅に出る。
見知らぬ風景を見るために旅をするのか、
見慣れた風景から逃れるために旅をするのか。
旅に出る理由は様々だろう。
様々な理由で、人は旅に出る。
しかし、旅を終える理由はひとつだろう。
帰るべき場所があり、帰るべき時がきて、
人は旅を終える。
終わるのが旅だ。
そして日常へと帰っていく。
続いていくのが日常だ。
ただいま。
おかえり。
旅について語ろうとするとき
人はむだに感傷的になる。
ここまでの15行は純粋にむだである。

猫は旅に出ない。
たまに旅に出る猫もいるようだが、例外だろう。
むかし『ハリーとトント』という映画を見た。
家を失った老人ハリーが猫のトントとともに
やっかいもの扱いされながら子どもたちの家を転々とする話だ。
ロードムービーだが、ハリーとトントの道行きは旅ではない。
彼らには帰る場所がないのだから、旅とはいえない。

はーちゃんは旅に出ない。
外は嫌いで、家が好きだからだ。
人が旅に出るとき、はーちゃんは留守番になる。
留守番というか、まあ、置いてけぼりだ。

4泊5日の新潟旅行をした。
山あり谷あり、隆起する大地の迫力に圧倒され、
棚田の風景と白米の旨味に日本を感じた旅だった。
はーちゃんが来てから、旅らしい旅をするのははじめてだった。
それまで、1泊の留守は何度もあり、2泊の留守も一度はああるが、
その経験から、留守番で問題になることが、いくつかあった。

まず、ごはん。
1泊や2泊なら多めに置いていけばどうにかなる。
どうにかなるが、うまく配分すれというのは無理な話で
早いうちに食べ切ってしまうことが多いようだ。
逆に、心細かったのか、食べ残していたこともあった。

それから、トイレ。
トイレに関しては徹底的に潔癖なのだ。
片づけてもらわないことには
次の用を足せなくなってしまう。
我慢してしまう。

あとは、さみしさ。
いつもツンツンツンデレのはーちゃんだが
実はそうとうな甘えんぼうであり、寂しんぼうである。
1泊の留守のあとでも、帰ってきた直後は
か細い声でニャアといって、
どれほど寂しく心細かったのかを訴えていた。

そんなはーちゃんを家に残して、新潟へ旅立つ。
後ろ髪ひかれる思いとはこのことだ。
旅のあいだ、合い言葉は「はーちゃん元気かな」だった。
そして「ごはん食べたかな」であり、「ウンチ出てるかな」だった。

はーちゃんはふだんから、ヨッコの帰りが遅いと
ドアの見える場所に座り、ドアが開くのをじっと待っている。
留守ちゅうはきっと、ずっと、ドアばかり気にして待っているのだろう。
サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』で
来る日も来る日もゴドーを待ち続け、
期待と失望を不毛に繰り返すウラディミールとエストラゴンのように
はーちゃんは家族の帰りを永遠のように感じながら待つのだろう。


ションボリしているのだろうと思うと、
旅人のほうもションボリするのである。
ヨッコは日に日に心配を募らせ、早く帰りたい顔をしていた。

旅のあいだの世話は、A子さん(仮名)にお願いをした。
A子さんは毎日うちに通い、ごはんを出し、トイレを片づけ、
はーちゃんの様子をメールで知らせてくれた。
旅のあいだ、メールを読んでは一喜一憂していた。

初日、はーちゃんはクローゼットに籠城したまま。

二日目、出てきてA子さんの足元でニャアという。

三日目、玄関までお出迎えして、A子さんに甘える。

四日目、やはりお出迎えして、ブラシしてもらう。

帰るべき場所があり、帰るべき時がきて、
人は旅を終える。
そこには猫が待っている。
猫のいる日常へと帰っていく。
ただいま。
おかえり。

おかげさまではーちゃんは留守番をやりとげた。
最悪の事態をあれこれ想像していたので
思っていたよりは平気で過ごせたともいえるけど、
帰ってきたときには声をガラガラに涸らしていた。
はーちゃんも限界いっぱい、ヨッコも限界いっぱいだった。

留守番から2週間ほど経って、A子さんがうちに来たとき、
はーちゃんはすぐに寄っていって、
ニャアとあいさつをして、撫でられていた。
こんなこと、他の誰にもしない。
ふつうは出てこないし、あいさつしないし、触らせない。
留守番ちゅうに毎日通ってくれたA子さんへの
感謝と愛慕をはっきりと示していた。

それにしても、ハリーとトントは
帰る家もなく、結局どうなったんだったろうか。
ウラディミールとエストラゴンは
待ち人は来ず、結局どうなったんだったろうか。
どうしても思い出せない。

20100208

第6位:星くずのストラバイト☆

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


それは、ある朝、突然に訪れた。
突然の激痛だった。
起きて、トイレで用を足して、
あれ、なんかへんだなと思ったときには
激痛に襲われ、ソファにへたりこみ、
痛いと言うこともできずに、悶え苦しんだ。

あとから思えば予兆はあったのだ。
数週間前から、腰のあたりにモヤモヤとした
痛いのでも怠いのでもないような
おかしな感じがあった。
結石の予兆は腹ではなく腰に現れるのだ。

タンカに乗せられ、担がれ、運ばれ、
救急車のベッドに寝かされた。
何か質問されていたが、
痛みのあまり答えられそうになかった。
そのとき、たいへんなことに気がついた。
私に質問をしている救急隊員が
たいへんな美人だったのだ。
美人救急隊員が私に何か尋ねている。
いつから痛かったのか、とか
どう痛いのか、とか
そんなことを訊いていたのだろうが
痛くて答えられない。
痛くて答えられないのだと
表情で示すことしかできなかった。

ほんとうは、美人救急隊員の手前
痛い顔なんてしたくなかった。
すごく痛いけど痛くなんてないさって顔をしたかった。
そのとき、また、たいへんなことに気がついた。
さっきまでの、あの、天変地異でも起こったような激痛が
なんだかちょっと収まりつつあるようだった。
まだ救急車は病院に向かって走っている。
あくまでも単に職務であるとはいえ
美人救急隊員は私に寄り添っている。
痛みが消えるのはありがたいのだが、
痛みが消えたことを伝えるのは情けなかった。

あのー、なんか、痛くなくなってきたみたいで、すみません。
なぜ謝らねばならないのか。
肩身の狭い気分になったところで
救急車は病院に到着した。
私はタンカも必要とせず、歩いて救急車を降りた。
美人救急隊員と救急車は
私を残してあっさりと引き上げていった。
早朝の病院の廊下に
私はひとり、ぽつんと座っていた。

たぶん尿管結石だったのだろう。
朝のトイレで結石が動いて激痛を引き起こし、
しかし救急車の揺れで結石がまた動いて痛みは消えた。
そのまま石は見つからずじまいだった。

以上、私の個人的な経験を述べたのは、つまり、
結石を患ったはーちゃんがどれほどの苦しみを味わったか
ほんとうに理解できるのは
結石の痛みを味わった者だけであることを言いたいがためである。
あの痛み、あの肩身の狭さ、
結石になった者にしか理解できまい。

はーちゃんの尿問題については
ヨッコが事細かに記録しているので
あえて繰り返さない。
ストラバイト結石に、膀胱炎。
泌尿器の弱さは父親(やきそば)ゆずりらしく
同じ主治医の治療を受けている。

はーちゃんにとっては
結石そのものよりも、病院が恐ろしかったかもしれない。
病院には犬がいたりもする。
でも犬より恐いのはセンセイだ。
おしりに体温計を入れられるのは我慢しよう。
注射チックンだって、まだ我慢しよう。
薬をぐいぐい飲み込まされるのだって、我慢しよう。
だけど、あれだけは、だめだ。

オシッコの検査のために、
センセイははーちゃんの尿管に細い管を差し込んだ。
そのときのはーちゃんの声は、
あとにもさきにも聞いたことのない
低く、太く、獰猛な声だった。
ゴロニャンとか、ミャアミャアとか、そういう
ネコの鳴き声ではなく、
ウオーというか、グアーというか、
ネコ科の何か(ライオンとかトラとか)の咆哮だった。
ほんとうのほんとうはあれがネコの本性なのかなと
そのとき以来たまに考えている。


はーちゃんはほとんど悪さをしないし
幼少期を想像すると痛々しい気持ちになるほど
しつけが徹底されている。
たとえば、テーブルには乗らない、明るいうちは。
暗くなるとこっそり乗るが。
トイレの失敗だって、なかった。
だけど、たった一度、私のふとんに粗相をした。
なんか臭いなーと思ったら、シミができていた。
それは結石を訴えるサインだった。

つらかったのだろう、苦しかったのだろう。
ふだんはトイレ以外では絶対にしない。
結石の苦しみのあまり、私の布団にしてしまった。
結石の苦しみを知る私は、はーちゃんに同情的だ。
粗相くらいは仕方がない。
気にするほどのことじゃない。

ただ、しかし、問題は
なぜ私の布団だったのか、ということだ。
はーちゃんはいつも、ヨッコの布団に乗る。
ヨッコの布団に乗って、寝る。
私の布団は、せいぜい横切る程度だ。
なのに、なぜ。
そんなときに限って、私の布団だったのか。
ヨッコの布団でもよかったのではないか。
粗相に際して、あえて私の布団を選んだのか。

そこのところは、
はーちゃんが全快してから問い詰めたが
「さあ、なんのことかしら」という顔で無視された。
はーちゃん、このことは忘れませんからね。

20100207

第7位:ハーミット氏の二重生活

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


古来、文学は猫を愛してきた。
古くは夏目漱石から、近年では保坂和志に至るまで
多くの文学者たちが優れた猫文学を著してきた。

犬の屈託ない素直さは微笑ましくはあれ、
そこに文学の精神が宿る余地はない。
猫のもつ、
気ままなな自由、
気むづかしい屈折、
気どったふるまい、
気だかい誇り、
気だるい午後、
気まずい二人、
などなど、にゃごにゃご、
むだに複雑な猫気質なればこそ文学の触媒たることができた。

また、逆に言えば、
猫という存在を言い表すには文学が必要であった、ともいえる。
だが、言語表現も時代とともに発展し
我々の生きる現代においては猫を端的に表すための言葉が開発され、
「ツンデレ」(※)という一語によって
猫を言い表すことができるようになった。

特に意味のないことを三段論法で証明するならば、
1)吾輩は猫である。(A=B)
2)猫は「ツンデレ」である。(B=C)
3)吾輩は「ツンデレ」である。(A=C)
ということになる。
Q.E.D.

はーちゃんもまた、猫であり、「ツンデレ」である。
ただ、はーちゃんの場合は、割合の問題として
「ツンツンツンデレ」くらいである。

では、はーちゃんの「ツンデレ」エピソードを。

よっこの両親が我が家に泊ったときのこと。
人見知りのはーちゃんは、もちろん隠れて出てこない。
猫好きのお父さんは会いたがっていたけど
はーちゃんは顔ひとつ見せなかった。
が、
電気を消してみんなが寝床に入った夜更け、
何を思ったか、はーちゃんはお父さんの布団を訪ねていった。
そして、おなか以外はすべてなでられたという。

また別のとき、よっこのお母さんがうちに泊ったときも
明るいうちは姿を見せなかった。
で、
やはり、暗くなってからお母さんの布団を訪ねていった。
明るいときはツン、暗いときにはデレなのだ。
翌朝、洗面所にいるお母さんに、はーちゃんが「ニャア」と声をかけた。
お母さんが「なあに?」と答えると、ぴゅーと逃げていった。
よっことお母さんを取り違えていたようだ。
匂いか、オーラか、はーちゃんの感じ取った何かが似ていたのだろう。

私の友人が泊まりにきたときには、さらに劇的だった。
起きているうちは隠れたままというのは同じ。
暗くなると布団を訪ねていき、
さらに、
なんと、
布団に入ったというのだ。
理解しがたい。
まったく理解できない。

「ツンデレ」とはまた別に、
はーちゃんは文字どおりの「二面性」をもっている。
二つの面(ツラ)をもつ猫である。
あるときは、
可憐にして清楚、
聡明な目をした、
深窓の令嬢のような気品を漂わせる
美麗なる猫の顔を見せる。
またあるときは、
不平と不満を餡にして丸め込んだ大福餅に
恨みがましい陰気な目をつけたような
ぶさ猫の顔を見せる。
深窓の令嬢と、大福餅。
どっちのはーちゃんがかわいいかと家族会議の議題に上がったが
満場一致で大福餅が議決された。



(※)ツンデレ補論:猫化する現代的アンビバレンス

「ツンデレ」という現代用語の意味について、
萌えの心情の実感を伴った真の理解はできないにせよ
ある種のアンビバレンスを指し示すのであろうと
語感から推測することはできよう。

もう一歩踏み込んで言うならば
両立し得ないはずのイエスとノーが
気まぐれというゆらぎのなかで表裏一体の共存状態となり
「ツンデレ」というキメラとして動きだす。

これを背反する仮面が一個体に備わった状態と捉えるならば
ジキル博士とハイド氏の解離性同一性障害が思い起こされるが
ツンデレラの二面性は引き裂かれたペルソナではなく
あくまでもゆらぎのある二重性であることに留意したい。

「ヒツジの皮をかぶったオオカミ」という単純な二重性とはことなり、
ツンデレ現象においては連続的な相転移により
「オオカミの皮をかぶったヒツジ」との見分けがつかなくなっている。
「オオカミ」とも「ヒツジ」とも識別不能になった何者か、
あるいは、あえて混同された「オオカミ/ヒツジ」存在が
絶え間ない相転移に伴って発する潜熱が、萌えとして「発見」される。

しかし、このような「オオカミ/ヒツジ」モデルのように
ひとたび分節したのち改めて接続する経路を仮定することは
むしろ「ツンデレ」理解を疎外するのではないか。

ツンとデレの共時性分析には、「オオカミとヒツジ」モデルを捨て、
「ネコ」モデルを導入すべきであろうこと、これが本論の主題である。
ネコをかぶる、という。
しかし、いったい誰がネコをかぶったのか。
オオカミか、ヒツジか、それともヒトなのか。

ネコとは、そもそもがアンビバレントな存在者である。
ネコはアンビバレンスそのものというべき存在であり、
しっぽを立てて四つ足で歩き回る「ツンデレ」であるともいえよう。
ネコはツンをかぶったデレでもなく、デレをかぶったツンでもなく、
まさしく表裏一体の「ツンデレ」存在なのである

ネコをかぶるとは「ツンデレ」をかぶるということであり
二面性の仮面をさらにかぶる、ということになる。
二重の二重性などという複雑な構造を論じる用意はなく
この問題にはここでは立ち入らないこととしたい。

また、化けの皮がはがれることを、しっぽを出すという。
しかし、「ツンデレ」であるところのネコは、そもそも
しっぽを出しっぱなしであることを忘れてはいけない。
出しっぱなしのしっぽを見失い、
隠されてもいないしっぽを探し求めるような過ちを犯すならば、
我々の思想ひいては思想史の全体が猫又の手中に落ちることになろう。

20100206

第8位:いい事ばかりはありゃしない

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


♪ いい事ばかりは ありゃしない〜
きのうは 白バイにつかまった〜

はい、故・忌野清志郎さん(戒名・忌野清志郎)の名曲 
いい事ばかりはありゃしないをお届けしました。
イエーイ。
さて。

猫にもいい事ばかりはありゃしない。
白バイにつかまるようなことは日々ある。
つかまると、だいたい、いい事じゃない。
つかまって、おなかなでられたり。
つかまって、爪を切られたり。
爪ばかりじゃなく、指のさきを切られたこともあったっけ。
痛くて、血が出て、もう死んじゃうかと思った。
あれにはまいった。
いい事ばかりはありゃしない。

つかまって、鞄に押し込められて、
ビョウインに連れていかれたことだってある。
ビョウインにはまいっちゃう。
チューシャにはまいっちゃう。
おまけに体重をはかられて
「ちょっとダイエットしたほうがいいですね」って
言われて、ごはんを減らされて。
いい事ばかりはありゃしない。

ビョウインから帰ってきたって安心はできない。
いつものカリカリが、おいしくないごはんに替えられる。
そのうえ、クスリを混ぜられる。
こんなごはん食べられたもんじゃない。
断固抗議です。ハンガーストライキです。
でもクスリごはんを食べないと、
また白バイにつかまる。
つかまって、注射器でクスリを飲まされる。
いい事ばかりはありゃしない。

はーちゃんにとっては災難だろうが
人間の家族たちにとってもたいへんな心配事で
かわいそうにと思っても捕獲して処置する。
かわいそうなときのはーちゃんは
しっぽをおなかのほうにくるっと巻き込んでしまう。
この姿は、かわいそうであると同時に、やはりかわいい。



つかまって、あごを拭かれる。
黒いつぶつぶがあるとかいって、
濡れたタオルであごを拭かれるんだけど、
気持ちわるいったらありゃしない。

つかまって、耳をひっぱられる。
ダニがいるかもっていって、
耳にクスリを入れて、くちゅくちゅもまれる。
耳に水っぽいものが入れられるなんて、許せない。

つかまって、水を浴びせられる。
あぶくぶくぶくされて、また水を浴びせられて、
タオルでごしごしされて、濡れそぼって、
ふかふかだった毛はぺったりしちゃうし
しっぽなんて紐みたいに細くなっちゃう。

それではおしまいにキヨシローのみんなのうた、
ぼくの目は猫の目を聞きながらお別れしましょう。
ごきげんだぜベイベー。
また明日。

♪ ぼくは猫の友達 猫と会話できるのさ
ニャオ ニャオ ニャオ ニャオ

20100205

第9位:トイレのハミ子さん

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


はーちゃんにはトイレ絡みの問題が多々あるが
粗相ということでいうとたった一度しかない。
そのことはまた後日書くことになるが
今回はトイレに関する諸々のエピソードを紹介したい。

はーちゃんが来た当初のこと。
連れてこられた猫も緊張していたが
迎え入れる人間たちも緊張していた。
はーちゃんはトイレを花嫁道具にもってきた。
トイレの場所がわからないと困るだろうと
我々はトイレを居間の入り口あたりに置いた。
もちろん親切のつもりだったが、
今にして思えば、考えうるトイレ設置場所のなかでも
最悪といってよい選択だった。
家のなかのどまんなかで、明るく、遮るものもない。
人間スケールで考えてみれば、体育館のまんなかのような
救いがたく開放的な場所だ。
でも、はーちゃんは我慢した。
我慢して、見知らぬ家の開放的なトイレで用を足した。
立派な猫である。

なかなか猫の気持ちをくみきれなかった人間たちも
どうもトイレの何かが気に入らないようであることは
感じ取っていた。
そこで、思いきって新しいトイレを買ってみた。
小型でオマル式であるため
猫砂が少なくてもよいというふれこみのトイレだった。
よかれと思って選んだつもりだったが
省スペースであり経済的というのは
よく考えてみると人間側の都合でしかなかった。
このトイレは不評だった。
なにしろはーちゃんは、めいっぱい砂を掻かなければ
気が済まない猫だったのだ。
省スペースで猫砂の少ないトイレは
はーちゃんの野性を満足させられなかった。
しかも、小さすぎて、トイレの縁がおしりにささっていた。
でも、はーちゃんは我慢した。
我慢して、砂掻きも妥協し、小さすぎるトイレで用を足した。
立派な猫である。

はーちゃんのトイレ問題は紆余曲折ありながらも
やがて、適切なサイズのトイレに替え、
人目を避けられる場所に移し、
最適解が導きだされた。
もう、はーちゃんは我慢しなくてもよい。
好きなだけ、気が済むだけ、
砂を掘り、砂を掻くことができる。

砂掻きするはーちゃんの姿は、たいそうかわいい。
トイレの縁に後足を掛け、頭を深くつっこみ、
ざっくざっくと生真面目な様子で砂を掘る。
不安定な足場に立って、お尻を突き上げたような格好だ。
これが、もう、実にかわいい。
いつまで見ていても見飽きないほどかわいい。
トイレから出てくるときに、トイレの縁に前足をこすって
足についた砂を落とす仕草もかわいらしい。


しかし、はーちゃんは
私にトイレを覗かれることを嫌う。
こっそり覗いていたのがばれるとひどく怒り
ウニャウと罵倒して駆け出していき
しばらく口をきいてくれなくなる。
ヨッコは近づいてもオーケーなのに
私は離れて見ているだけでもエヌジーなのだ。
どういうわけだ。
残念なことである。

はーちゃんは用を足すと、ニャアと呼びにくる。
片づけてほしい、というのだ。
すぐに、一刻も早く、ほら、片付けてほしい、というのだ。
ウンチは特に、早急な処理を求められる。
片づかなければ、次の用を足しにいかれない。
もう、ほんとうに、片づいていないトイレでは
絶対に用を足さないのだ。
そのへんは潔癖だ。
片づけると、すぐにチェックにいく。
せっかくならしておいた砂を掻きまわし、
ちゃんと片づいたか確認する。
不備があればクレームが入る。
潔癖にもほどがある。

余談だが、我が家の人間たちは
トイレのドアをガチャンと閉めず
ふわっと閉めるのがならわしになっている。
人間の家族が人間のトイレに入ると
はーちゃんがドアを開けにくるからだ。
トイレのドアをカリカリカリカリ引っ掻いてドアを開け、
なかを覗いたり、なかまで入ってきたりする。
そんなはーちゃんを見たいがために
我が家のトイレは今日も半開きだ。

20100204

第10位:猫めざまし進化論

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


朝のはーちゃんは、よっこに起きてほしい。
なぜなら腹ぺこだからだ。
朝ごはんがほしいのだ。
起きてー!起きてー!とニャアニャア吠えるが
そのくらいで起きるよっこではない。

はーちゃんは思案した。
どうすればよっこは起きてくれるのか。

そこで最初に繰り出されたのが
肉球タッチだった。
かわいい肉球で、ほっぺをキュっと押すのだ。
キュ、キュっと押すのだ。

これは、あまり効果的ではなかった。
というよりも、逆効果だった。
肉球でほっぺをキュっと押すのがかわいいからといって
よっこはむしろ起きなかった。
寝たふりをしてキュっとされるのを待つのだから、だめだ。

はーちゃんはまた思案した。
よいことを思いついた。
ほっぺを押してもダメなら、別の場所を押してみよう。
新・肉球タッチである。
かわいい肉球で、まぶたの上から、眼球をキュっと押すのだ、
キュ、キュっと押すのだ。

これはもう、かわいいというより、怖い。
よっこは起きた。
はーちゃん大成功。
大成功だったけど、叱られた。
押していい場所とわるい場所があると、はーちゃんは知った。

改めてはーちゃんは思案した。
押すのではなく、別の方法はないものか。
そして新たな技を編み出した。
ジャンプ&ドロップ。
高いところに登って、飛び降りて、ドスン。
これはけっこう効果あり。
ウゲっといって、よっこは起きる。


さらにはーちゃんは思案した。
もっと早く起きてもらうには、どうしたものか。
そして最終兵器は開発された。
ごはんくれなきゃ髪食べちゃうよ攻撃。
そっと枕元に近づき、髪をくわえ、えいっとひっぱる。
効果てきめん、よっこは痛えーっと叫んで
あっというまに飛び起きる。
でも、また叱られた。
最終兵器、封印。

というような経緯があって、
最近はあまり無茶な起こし方はしなくなった。
原点に帰って、ニャアニャア吠えるか、
念を送るような目つきで待っているか、
おとなしいものだ。
おかげで寝過ごした日があるくらいだ。

20100203

毎日、はーちゃんがうちに来てくれてよかったなあと思う。
思っているうちに、今日はうちに来て、3周年。
はーちゃんは外にいた年数より、うちに来てからの年数のほうが長くなった。

はーちゃんはというと、
座布団と座布団の間にはいるのがすき。




ほんとうはアクティブに遊ぶところも撮りたいのだけど、
ブレてしまうのだ。



こんな感じ…。