20081015

暴論・極論を唱えてみる試み。

そういう理屈で自分が納得できるかどうか
試みまでに暴論、極論を唱えてみる。


こういう物言いをよく見かける。

 自転車競技ばかりドーピングのやりだまにあげられるが
 自転車競技は厳しいチェックをしているからこそ発見されるのであって
 他の競技よりも状況が悪いわけではない。

これはほんとうか?
自転車競技は、実際、
世界一ドーピングまみれのスポーツ
なのでは?

自転車競技は、そもそも、スポーツなのだろうか。
ツールドフランスの歴史をひもとけば、
100年ちょっとさかのぼった1903年、
ある新聞社が販売促進のために始めた客寄せ企画だ。
優勝賞金の札束をちらつかせて人を集め、
むちゃくちゃな冒険旅行をさせ、到着の順位を競わせたものだ。

そんなレースに集まってくるのは、
ひと山あててやろうという魂胆の山師たちに決まっている。
言ってみれば、自分の身体を賭け金にする男たちの
べらぼうなギャンブル
みたいなものだ。

山師たちがイカサマをするのは当然のことで
黎明期のツールドフランスでも違反はあった。
1903年の第1回大会の優勝者モリス・ガランは
翌年の第2回大会でも最初にゴールしたが
途中で列車に乗ったことがわかって優勝を剥奪された。

もっと前、1886年のボルドー〜パリのレースでは
トリメチル過剰投与で死亡事故が起きている。

時代が下って1956年、
ツール・ド・フランス参加選手の20%に覚せい剤の陽性反応があり、
何人かは依存症に陥っていた。

インチキ、イカサマは、そもそも自転車競技の一部なのだ。
ドーピングは自転車競技のDNAに組み込まれているのだ。
もちろん表向きはルール違反なのだから、
見つかれば失格になるし、処罰される。
だけど、見つからなければヒーローになり
大金を手にすることができる、かもしれない。
ハイリスク、ハイリターン。
山師たちは、当然、ハイリスクに賭ける。

危険を賭した者だけが栄光をつかみ取る。

そんなことはスポーツマンシップに反する?
そうかもしれない。
だけど、山師たちには、はじめから
スポーツをしているつもりなんてない
だろう。

スポーツマンシップなんて、
いけすかない紳士たちに任せておけばいい。
紳士たちのスポーツ・・・
たとえば、そう、ゴルフなら、
ドーピングなんて必要ないだろう。
メタボ腹でもプロでいられる。
走ることも跳ぶこともない。
荷物も家来が運んでくれる。

スラム街の路地裏に続いているスポーツ・・・
たとえば、そう、サッカーなら、
自転車競技に近いものかもしれない。
クスリが必要な競技だ。

ドーピング違反者は、犯罪者ではない。
被害者でもない。
ただの、賭けに負けた山師だ。
まだ負けていない山師たちに言わせれば
見つかった奴は間抜けでしかない。
間抜けから順に負けていく。
狡猾な者だけが勝ち抜いていく。

新たに急勾配の峠がコースに組み入れられるように
新たにドーピングが検出されるようになる。
峠により、検査により、レースの難易度が上がる。
だけど山師たちは、常に裏をかくことを考えている。
第三世代EPOも、血液ドーピングもダメか。
もう遺伝子ドーピングしかないぜ。

賭け続けるしかない。
欺き通すしかない。
そして勝利を手に入れるのだ。



うーん。
あえて暴論、極論を書いたつもりが
意外と事実に近いような気がしてしまう・・・
でも、まあ、納得はしないな。
ほしいのは事実じゃなくて真実なんですよ。