先週に続いて、日曜と月曜にニセコへ。
前日にはーちゃんに言い含めるピコリの図。
「明日お留守番頼むね」
「 …む 」
「 いやだ… 」
「 いやだってば 」
「 いやだからね 」
納得しないはーちゃん。
前日からスネスネのスネキング。
20080624
2008年ロード初乗り@ニセコ
自転車を買ったばかりで張り切っていた07年シーズンは
春の訪れを今か今かと待ち詫びて、雪解けすぐに自転車に乗ったものだけど
2年目になる08年は天候不順だ体調不良だと言い訳を並べて
なんとなく初乗りを遅らせていた。
友人のバンドがニセコでライブをやるという、きっかけをもらって
ようやく初乗りにこぎつけた。
早起きして、自転車を抱えてJRに乗る。
小樽乗り換えで倶知安まで。
予想もしない車内の混みっぷりで、輪行(自転車の車内持ち込み)は肩身が狭い。
倶知安にて、前日からニセコ入りしていたコルナゴ夫婦と合流。
なにぶん初乗り、もともとヘナチョコなのが、よりヘナチョコだ。
それでも天気はよくて、クルマの通らない好環境で、気分よく走れた。
走ったあとは温泉でゆったり、ぐったり。
出かけていく僕と、
タマさん。
(写真撮影は、初日がんばったけど、二日目へこたれて、留守番のヨッコ)
ニセコアンヌプリ
輪行袋の樹立
サイクリングも、輪行も、ちょっと億劫なのだけど、
出かけてみるとやっぱり楽しい。
今回は1泊だったけど、できれば2泊したいところ。
だって、自転車に乗っている時間より、
自転車を抱えてJRに乗っている時間のほうが長いから。
次は新篠津サイクリングかな。
春の訪れを今か今かと待ち詫びて、雪解けすぐに自転車に乗ったものだけど
2年目になる08年は天候不順だ体調不良だと言い訳を並べて
なんとなく初乗りを遅らせていた。
友人のバンドがニセコでライブをやるという、きっかけをもらって
ようやく初乗りにこぎつけた。
早起きして、自転車を抱えてJRに乗る。
小樽乗り換えで倶知安まで。
予想もしない車内の混みっぷりで、輪行(自転車の車内持ち込み)は肩身が狭い。
倶知安にて、前日からニセコ入りしていたコルナゴ夫婦と合流。
なにぶん初乗り、もともとヘナチョコなのが、よりヘナチョコだ。
それでも天気はよくて、クルマの通らない好環境で、気分よく走れた。
走ったあとは温泉でゆったり、ぐったり。
出かけていく僕と、
タマさん。
(写真撮影は、初日がんばったけど、二日目へこたれて、留守番のヨッコ)
ニセコアンヌプリ
輪行袋の樹立
サイクリングも、輪行も、ちょっと億劫なのだけど、
出かけてみるとやっぱり楽しい。
今回は1泊だったけど、できれば2泊したいところ。
だって、自転車に乗っている時間より、
自転車を抱えてJRに乗っている時間のほうが長いから。
次は新篠津サイクリングかな。
20080618
20080616
20080610
20080608
20080602
ジロ読み(21°Tappa):ミラノへ
グランツールの最終日と言えば
パレードレースと相場が決まっているもの
と思っていた。
重大な順位変動はありえないコース設定がなされ、
すでに順位は確定したものとして、
戦い終えた選手たちは、勝った者も、負けた者も、みんな、
ともに走ってきた長い長い道のりの最後の距離を
シャンパンを飲んだり、お喋りをしたり、記念撮影したりしながら
パレードのようにゆるゆると走ってきて、
最後の最後には市街地サーキットで、出迎えにきた大観衆のなか、
大きな打ち上げ花火を上げるようにスプリントを爆発させて
お祭りを終えるもの、と。
ところが、このジロは違う。
最後の最後まで死の物狂いでマリアローザを奪い合えとばかりに
最終日に個人タイムトライアルが設定されている。
そのうえ、1位コンタドールと2位リッコ’の差は、わずか「4秒」。
とはいえ、「ピエポリの4秒」を、
TTでコンタドールから奪うのは、リッコ’にとっては大難問。
結果、コンタドールは危なげなくTTをまとめ、
リッコ’はどうにか2位を死守。
むしろ白熱したのは3位争い。
表彰台に乗れるかどうかを
ブルセギンとペリツォッティが秒差で争って、
どうにか「ロバ飼い」ブルセギンが守りきった。
ブルセギンのゴールの瞬間が、我が家でのクライマックスだった。
パレードと打ち上げ花火の最終日もいいけど、
個人TTの最終日も悪くない。
集団がみんなでミラノに到着するという連帯感も美しいが、
それぞれの3週間を背負ってそれぞれがミラノに着くというのも
深い詩情を醸し出す。
TTだからこそ、ミラノのゴール地点では、すべての選手が主人公だ。
たとえば、
おそらくは最後となるジロを完走したパオロ・ベッティーニ、
3週間どころか選手人生全体の想いさえ見える、感慨の表情でのゴール。
誰も予想だにしなかった大躍進を成し遂げたエマヌエーレ・セッラ、
このジロの期間中に自信と風格を得た、成熟の表情でのゴール。
*
よいジロだった。
最終的なリザルトは、たいして問題にならない。
勝ったコンタドールは、冷静であり、堅実であり、強かった。
やはり、リザルトのとおり、いちばん強かったのはコンタドールだと思う。
だけど、「コンタドールのジロ」だった、という印象は、むしろ薄い。
能力の拮抗したたくさんの選手たちが、それぞれの持ち味を出して、
終盤まで僅差で争いつづけたことの、その全体が、08年ジロだった。
引用しよう。
それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
サイクルロードレースの本質的な特徴なのである。
レースの中で起こっていることは、複数の個性や運命が
単一のチャンピオンの意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
展開されてゆくといったことではない。
そうではなくて、ここではまさに、
それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
(-----ミハイル・バフチン「サイクルロードレースの詩学」より)
最終的なリザルトは、たいして問題にならないと言いつつ、
名残惜しいので、総合トップ10を確認しておこう。
10位、ジルベルト・シモーニ。
明らかに全盛期を過ぎ、衰えは隠せない。
それでも走ることを選ぶシモーニの美学を支持したい。
9位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ、
7位のユルゲン・ヴァンデンブロック。
今ジロの「収穫」は、このふたりではないか。
ふたりともプロ未勝利みたいだけど、これからの選手だ。
07年ジロのシュレック、リッコ’ほどの鮮烈さではないが
楽しみな若手の登場を喜びたい。
8位のダニロ・ディルーカ。
ディフェンディング・チャンピオンであるにもかかわらず
終始、必死なチャレンジャーの顔をしていた。
思えば彼もまた、サイクルレース界の政治的ゴタゴタの犠牲者であり、
そのため小さなチームへの移籍をやむなくされたことを忘れてはいけないが、
そういうエクスキューズを一切口にしなかったことを高く評価したい。
6位のエマヌエーレ・セッラ。
泣き虫セッラが、勝利を重ねるごとに
たくましい顔に変貌していく過程を、全世界が目撃した。
なかなか見られない、リアル成長譚。
5位のデニス・メンショフ。
思ったよりも本人のモチベーションは高かったようだけど
チームには勝ちにいく体制がなかったことが残念。
《ラボバンク》が本気で狙ってきたら、もっと上はあったかも。
4位のフランコ・ペリツォッティ、
3位のマルツィオ・ブルセギン。
こう言っては悪いけど、たまたま消去法で、
チームのエース役が回ってきた、という状況のふたりだろう。
そんななかで、十分に役割を果たし、レースを盛り上げた。
たったの2秒差、同着3位として、等しく賞賛したい。
2位のリカルド・リッコ’。
生意気っぷりは、いい。
ピエポリを失っても、よい登坂力を見せた。
でも、気持ちと登りだけじゃ勝てない。
TT、どうにか改善しないとね。
あと、ジロだけじゃなく、ツールかブエルタにも殴り込もう。
優勝のアルベルト・コンタドール。
最終日前日のコメントで、
もともとはツールだけに出るつもりだったのに招待されず、
目標を失っていたけど、
ツールだけよりも、もっとよいシーズンになりそうだ、
ということを話していたって。
そうだ、そうだ。
今シーズンに限らず、
ツールだけではない大きなチャンピオンになってほしい。
注文をつけるなら、
予防線のエクスキューズと、鉄砲ばきゅんポーズは
かっこわるいから、やめたほうがいい。
- - - - - - - - - -
※文中の引用文は偽造です。ほんものはこちら。
それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。
彼の作品の中で起こっていることは、複数の個性や運命が
単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
展開されてゆくといったことではない。
そうではなくて、ここではまさに、
それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
(----ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」より)
パレードレースと相場が決まっているもの
と思っていた。
重大な順位変動はありえないコース設定がなされ、
すでに順位は確定したものとして、
戦い終えた選手たちは、勝った者も、負けた者も、みんな、
ともに走ってきた長い長い道のりの最後の距離を
シャンパンを飲んだり、お喋りをしたり、記念撮影したりしながら
パレードのようにゆるゆると走ってきて、
最後の最後には市街地サーキットで、出迎えにきた大観衆のなか、
大きな打ち上げ花火を上げるようにスプリントを爆発させて
お祭りを終えるもの、と。
ところが、このジロは違う。
最後の最後まで死の物狂いでマリアローザを奪い合えとばかりに
最終日に個人タイムトライアルが設定されている。
そのうえ、1位コンタドールと2位リッコ’の差は、わずか「4秒」。
とはいえ、「ピエポリの4秒」を、
TTでコンタドールから奪うのは、リッコ’にとっては大難問。
結果、コンタドールは危なげなくTTをまとめ、
リッコ’はどうにか2位を死守。
むしろ白熱したのは3位争い。
表彰台に乗れるかどうかを
ブルセギンとペリツォッティが秒差で争って、
どうにか「ロバ飼い」ブルセギンが守りきった。
ブルセギンのゴールの瞬間が、我が家でのクライマックスだった。
パレードと打ち上げ花火の最終日もいいけど、
個人TTの最終日も悪くない。
集団がみんなでミラノに到着するという連帯感も美しいが、
それぞれの3週間を背負ってそれぞれがミラノに着くというのも
深い詩情を醸し出す。
TTだからこそ、ミラノのゴール地点では、すべての選手が主人公だ。
たとえば、
おそらくは最後となるジロを完走したパオロ・ベッティーニ、
3週間どころか選手人生全体の想いさえ見える、感慨の表情でのゴール。
誰も予想だにしなかった大躍進を成し遂げたエマヌエーレ・セッラ、
このジロの期間中に自信と風格を得た、成熟の表情でのゴール。
*
よいジロだった。
最終的なリザルトは、たいして問題にならない。
勝ったコンタドールは、冷静であり、堅実であり、強かった。
やはり、リザルトのとおり、いちばん強かったのはコンタドールだと思う。
だけど、「コンタドールのジロ」だった、という印象は、むしろ薄い。
能力の拮抗したたくさんの選手たちが、それぞれの持ち味を出して、
終盤まで僅差で争いつづけたことの、その全体が、08年ジロだった。
引用しよう。
それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
サイクルロードレースの本質的な特徴なのである。
レースの中で起こっていることは、複数の個性や運命が
単一のチャンピオンの意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
展開されてゆくといったことではない。
そうではなくて、ここではまさに、
それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
(-----ミハイル・バフチン「サイクルロードレースの詩学」より)
最終的なリザルトは、たいして問題にならないと言いつつ、
名残惜しいので、総合トップ10を確認しておこう。
10位、ジルベルト・シモーニ。
明らかに全盛期を過ぎ、衰えは隠せない。
それでも走ることを選ぶシモーニの美学を支持したい。
9位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ、
7位のユルゲン・ヴァンデンブロック。
今ジロの「収穫」は、このふたりではないか。
ふたりともプロ未勝利みたいだけど、これからの選手だ。
07年ジロのシュレック、リッコ’ほどの鮮烈さではないが
楽しみな若手の登場を喜びたい。
8位のダニロ・ディルーカ。
ディフェンディング・チャンピオンであるにもかかわらず
終始、必死なチャレンジャーの顔をしていた。
思えば彼もまた、サイクルレース界の政治的ゴタゴタの犠牲者であり、
そのため小さなチームへの移籍をやむなくされたことを忘れてはいけないが、
そういうエクスキューズを一切口にしなかったことを高く評価したい。
6位のエマヌエーレ・セッラ。
泣き虫セッラが、勝利を重ねるごとに
たくましい顔に変貌していく過程を、全世界が目撃した。
なかなか見られない、リアル成長譚。
5位のデニス・メンショフ。
思ったよりも本人のモチベーションは高かったようだけど
チームには勝ちにいく体制がなかったことが残念。
《ラボバンク》が本気で狙ってきたら、もっと上はあったかも。
4位のフランコ・ペリツォッティ、
3位のマルツィオ・ブルセギン。
こう言っては悪いけど、たまたま消去法で、
チームのエース役が回ってきた、という状況のふたりだろう。
そんななかで、十分に役割を果たし、レースを盛り上げた。
たったの2秒差、同着3位として、等しく賞賛したい。
2位のリカルド・リッコ’。
生意気っぷりは、いい。
ピエポリを失っても、よい登坂力を見せた。
でも、気持ちと登りだけじゃ勝てない。
TT、どうにか改善しないとね。
あと、ジロだけじゃなく、ツールかブエルタにも殴り込もう。
優勝のアルベルト・コンタドール。
最終日前日のコメントで、
もともとはツールだけに出るつもりだったのに招待されず、
目標を失っていたけど、
ツールだけよりも、もっとよいシーズンになりそうだ、
ということを話していたって。
そうだ、そうだ。
今シーズンに限らず、
ツールだけではない大きなチャンピオンになってほしい。
注文をつけるなら、
予防線のエクスキューズと、鉄砲ばきゅんポーズは
かっこわるいから、やめたほうがいい。
- - - - - - - - - -
※文中の引用文は偽造です。ほんものはこちら。
それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。
彼の作品の中で起こっていることは、複数の個性や運命が
単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
展開されてゆくといったことではない。
そうではなくて、ここではまさに、
それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
(----ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」より)
20080601
ジロ読み(20°Tappa):通りすがりのロシア人、ひらひら泳ぐスペインの金魚
今ジロ最高峰「チーマコッピ」の日の我が家の夕食。
タコのマリネ。
サンマの香草パン粉焼き(パルミジャーノレッジャーノ風味)。
トマトとモッツァレラチーズのパスタ。
ジロ各ステージのゴールゲートには、
パルミジャーノレッジャーノの文字が見える。
そしてポディウムでは真っ先に
ステージ優勝選手にパルミジャーノレッジャーノの箱が渡される。
「パルメザンチーズ」「粉チーズ」など称する
類似粗悪品の流通に抗するため「本家」をアピールする広告なのだろうが、
スポンサー主ということになると、どこなのかわからない。
組合でもあるのか。あるいは地方の行政団体なのか。
ともあれ、「山の王」セッラが
3箱目のパルミジャーノレッジャーノを獲得した。
クライマーとしてジロ3勝は驚異的であり、賞賛に値するが、
ただ、総合優勝争いにおいてもはや眼中になしと判断された結果である。
とはいえ、2分35秒差の5位へ、ジャンプアップ。
今さらのがんばりを見せて2着に入ったシモーニのとっつぁんも
もう相手にされていないから先行を許されたに過ぎない。
とっつぁんにもパルミジャーノレッジャーノの1箱くらい
持って帰ってほしかったところだが、残念。
まあ、チーズくらい自分で買えばいい。
コンタドール、堅牢なり。
19ステージにて、サヴォルデッリを使ったディルーカの攻撃を受けたが、
コンタドールに致命傷がなかったのはクレーデンが身を呈したためだろう。
双方被害は大きく、サヴォルデッリは早々に遅れ、クレーデンはリタイアした。
みんなカードを切り尽くし、身ひとつの状態。
小さな集団のなかに上位選手がひしめき合う。
コンタドール、リッコ’、ディルーカ、ブルセギン、メンショフ、ペリツォッティ。
これはコンタ包囲網に見える。
コンタドールは孤立無援、全方位から攻撃を受ける立場に見える。
しかし、最後の最後まで、この集団はコンタドールの支配下にあった。
コンタドールに大きな余力があるようにも思えないのだが
包囲網に入っているというよりも、手綱を引いているように見えてくる。
君臨し、揺るがない。
もはや敵ではないと見られたセッラ、シモーニだけが脱走を許された。
逆に、ディルーカは脱落。
2分差を詰めた19ステージの荒技が、ディルーカ自身を無傷でおくわけはなかった。
満身創痍のディルーカは、通りすがりのロシア人に背負われて帰ってきた。
カルペツの大きな背中に隠れるように走るディルーカは、
ほんとうに背負われているように見えた。
ここまで存在感ゼロだったくせに、こんな場面に限って現れるなんて、
カルペツのピナレロには笑いの神が宿っているのだろう。
TTが苦手で、あとのないリッコ’は
この日に仕掛ける以外になかっただろうに、何もできずに終わった。
背水の陣で、無謀でもアタックかけるべきではなかった。
意地を見せてほしかった。
「4秒」を詰められないまま、最終日TTを残すだけとなった。
ディルーカ脱落で、総合優勝争いは実質的にコンタドールとリッコ’に絞られた。
TTではリッコ’よりコンタドールが確実に有利、
絞られたというより、ほぼ決まったと言っても過言ではない。
一方、表彰台に乗りたい選手間の3位争いが激化。
ブルセギンが3位を守り切ることを期待したい。
あと、触れにくい微妙さだったので触れてこなかったが
ずっと気になって仕方のない微妙な選手、
《ケスデパーニュ》のホアキン・ロドリゲス。
いつもいつも前方のレース展開のなかにいて、
ヒラヒラと目につくのだけど、彼が何をしたいのかわからない。
気がつけばそこにいて、気がつけばもういない。
彼はなんなんだろう。
身にまとうスペインチャンピオンジャージは
赤と黄色のどぎついカラーリング、しかも魚鱗模様、
どうしても金魚のように見えて
ホアキン・ロドリゲスの名を聞くたびに「ほあ金」と頭に浮かぶ。
「ほあ金」は今日もヒラヒラとレースのなかを
意味もなく泳ぎ回っていた。
そのくせ、「4秒」にあえぐリッコ’が
喉から手が出るほど欲しいボーナスタイムをムダに食ったりして、
案外「ほあ金」が明暗を分ける存在だったりして。
タコのマリネ。
サンマの香草パン粉焼き(パルミジャーノレッジャーノ風味)。
トマトとモッツァレラチーズのパスタ。
ジロ各ステージのゴールゲートには、
パルミジャーノレッジャーノの文字が見える。
そしてポディウムでは真っ先に
ステージ優勝選手にパルミジャーノレッジャーノの箱が渡される。
「パルメザンチーズ」「粉チーズ」など称する
類似粗悪品の流通に抗するため「本家」をアピールする広告なのだろうが、
スポンサー主ということになると、どこなのかわからない。
組合でもあるのか。あるいは地方の行政団体なのか。
ともあれ、「山の王」セッラが
3箱目のパルミジャーノレッジャーノを獲得した。
クライマーとしてジロ3勝は驚異的であり、賞賛に値するが、
ただ、総合優勝争いにおいてもはや眼中になしと判断された結果である。
とはいえ、2分35秒差の5位へ、ジャンプアップ。
今さらのがんばりを見せて2着に入ったシモーニのとっつぁんも
もう相手にされていないから先行を許されたに過ぎない。
とっつぁんにもパルミジャーノレッジャーノの1箱くらい
持って帰ってほしかったところだが、残念。
まあ、チーズくらい自分で買えばいい。
コンタドール、堅牢なり。
19ステージにて、サヴォルデッリを使ったディルーカの攻撃を受けたが、
コンタドールに致命傷がなかったのはクレーデンが身を呈したためだろう。
双方被害は大きく、サヴォルデッリは早々に遅れ、クレーデンはリタイアした。
みんなカードを切り尽くし、身ひとつの状態。
小さな集団のなかに上位選手がひしめき合う。
コンタドール、リッコ’、ディルーカ、ブルセギン、メンショフ、ペリツォッティ。
これはコンタ包囲網に見える。
コンタドールは孤立無援、全方位から攻撃を受ける立場に見える。
しかし、最後の最後まで、この集団はコンタドールの支配下にあった。
コンタドールに大きな余力があるようにも思えないのだが
包囲網に入っているというよりも、手綱を引いているように見えてくる。
君臨し、揺るがない。
もはや敵ではないと見られたセッラ、シモーニだけが脱走を許された。
逆に、ディルーカは脱落。
2分差を詰めた19ステージの荒技が、ディルーカ自身を無傷でおくわけはなかった。
満身創痍のディルーカは、通りすがりのロシア人に背負われて帰ってきた。
カルペツの大きな背中に隠れるように走るディルーカは、
ほんとうに背負われているように見えた。
ここまで存在感ゼロだったくせに、こんな場面に限って現れるなんて、
カルペツのピナレロには笑いの神が宿っているのだろう。
TTが苦手で、あとのないリッコ’は
この日に仕掛ける以外になかっただろうに、何もできずに終わった。
背水の陣で、無謀でもアタックかけるべきではなかった。
意地を見せてほしかった。
「4秒」を詰められないまま、最終日TTを残すだけとなった。
ディルーカ脱落で、総合優勝争いは実質的にコンタドールとリッコ’に絞られた。
TTではリッコ’よりコンタドールが確実に有利、
絞られたというより、ほぼ決まったと言っても過言ではない。
一方、表彰台に乗りたい選手間の3位争いが激化。
ブルセギンが3位を守り切ることを期待したい。
あと、触れにくい微妙さだったので触れてこなかったが
ずっと気になって仕方のない微妙な選手、
《ケスデパーニュ》のホアキン・ロドリゲス。
いつもいつも前方のレース展開のなかにいて、
ヒラヒラと目につくのだけど、彼が何をしたいのかわからない。
気がつけばそこにいて、気がつけばもういない。
彼はなんなんだろう。
身にまとうスペインチャンピオンジャージは
赤と黄色のどぎついカラーリング、しかも魚鱗模様、
どうしても金魚のように見えて
ホアキン・ロドリゲスの名を聞くたびに「ほあ金」と頭に浮かぶ。
「ほあ金」は今日もヒラヒラとレースのなかを
意味もなく泳ぎ回っていた。
そのくせ、「4秒」にあえぐリッコ’が
喉から手が出るほど欲しいボーナスタイムをムダに食ったりして、
案外「ほあ金」が明暗を分ける存在だったりして。
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