20080602

ジロ読み(21°Tappa):ミラノへ

グランツールの最終日と言えば
パレードレースと相場が決まっているもの
と思っていた。
重大な順位変動はありえないコース設定がなされ、
すでに順位は確定したものとして、
戦い終えた選手たちは、勝った者も、負けた者も、みんな、
ともに走ってきた長い長い道のりの最後の距離を
シャンパンを飲んだり、お喋りをしたり、記念撮影したりしながら
パレードのようにゆるゆると走ってきて、
最後の最後には市街地サーキットで、出迎えにきた大観衆のなか、
大きな打ち上げ花火を上げるようにスプリントを爆発させて
お祭りを終えるもの、と。

ところが、このジロは違う。
最後の最後まで死の物狂いでマリアローザを奪い合えとばかりに
最終日に個人タイムトライアルが設定されている。
そのうえ、1位コンタドールと2位リッコ’の差は、わずか「4秒」。
とはいえ、「ピエポリの4秒」を、
TTでコンタドールから奪うのは、リッコ’にとっては大難問。
結果、コンタドールは危なげなくTTをまとめ、
リッコ’はどうにか2位を死守。
むしろ白熱したのは3位争い。
表彰台に乗れるかどうかを
ブルセギンとペリツォッティが秒差で争って、
どうにか「ロバ飼い」ブルセギンが守りきった。
ブルセギンのゴールの瞬間が、我が家でのクライマックスだった。

パレードと打ち上げ花火の最終日もいいけど、
個人TTの最終日も悪くない。
集団がみんなでミラノに到着するという連帯感も美しいが、
それぞれの3週間を背負ってそれぞれがミラノに着くというのも
深い詩情を醸し出す。
TTだからこそ、ミラノのゴール地点では、すべての選手が主人公だ。
たとえば、
おそらくは最後となるジロを完走したパオロ・ベッティーニ、
3週間どころか選手人生全体の想いさえ見える、感慨の表情でのゴール。
誰も予想だにしなかった大躍進を成し遂げたエマヌエーレ・セッラ、
このジロの期間中に自信と風格を得た、成熟の表情でのゴール。

*

よいジロだった。
最終的なリザルトは、たいして問題にならない。
勝ったコンタドールは、冷静であり、堅実であり、強かった。
やはり、リザルトのとおり、いちばん強かったのはコンタドールだと思う。
だけど、「コンタドールのジロ」だった、という印象は、むしろ薄い。
能力の拮抗したたくさんの選手たちが、それぞれの持ち味を出して、
終盤まで僅差で争いつづけたことの、その全体が、08年ジロだった。
引用しよう。


 それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
 それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
 サイクルロードレースの本質的な特徴なのである。
 レースの中で起こっていることは、複数の個性や運命が
 単一のチャンピオンの意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
 展開されてゆくといったことではない。
 そうではなくて、ここではまさに、
 それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
 何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
  (-----ミハイル・バフチン「サイクルロードレースの詩学」より)


最終的なリザルトは、たいして問題にならないと言いつつ、
名残惜しいので、総合トップ10を確認しておこう。

10位、ジルベルト・シモーニ。
明らかに全盛期を過ぎ、衰えは隠せない。
それでも走ることを選ぶシモーニの美学を支持したい。

9位のドメニコ・ポッツォヴィーヴォ、
7位のユルゲン・ヴァンデンブロック。
今ジロの「収穫」は、このふたりではないか。
ふたりともプロ未勝利みたいだけど、これからの選手だ。
07年ジロのシュレック、リッコ’ほどの鮮烈さではないが
楽しみな若手の登場を喜びたい。

8位のダニロ・ディルーカ。
ディフェンディング・チャンピオンであるにもかかわらず
終始、必死なチャレンジャーの顔をしていた。
思えば彼もまた、サイクルレース界の政治的ゴタゴタの犠牲者であり、
そのため小さなチームへの移籍をやむなくされたことを忘れてはいけないが、
そういうエクスキューズを一切口にしなかったことを高く評価したい。

6位のエマヌエーレ・セッラ。
泣き虫セッラが、勝利を重ねるごとに
たくましい顔に変貌していく過程を、全世界が目撃した。
なかなか見られない、リアル成長譚。

5位のデニス・メンショフ。
思ったよりも本人のモチベーションは高かったようだけど
チームには勝ちにいく体制がなかったことが残念。
《ラボバンク》が本気で狙ってきたら、もっと上はあったかも。

4位のフランコ・ペリツォッティ、
3位のマルツィオ・ブルセギン。
こう言っては悪いけど、たまたま消去法で、
チームのエース役が回ってきた、という状況のふたりだろう。
そんななかで、十分に役割を果たし、レースを盛り上げた。
たったの2秒差、同着3位として、等しく賞賛したい。

2位のリカルド・リッコ’。
生意気っぷりは、いい。
ピエポリを失っても、よい登坂力を見せた。
でも、気持ちと登りだけじゃ勝てない。
TT、どうにか改善しないとね。
あと、ジロだけじゃなく、ツールかブエルタにも殴り込もう。

優勝のアルベルト・コンタドール。
最終日前日のコメントで、
もともとはツールだけに出るつもりだったのに招待されず、
目標を失っていたけど、
ツールだけよりも、もっとよいシーズンになりそうだ、
ということを話していたって。
そうだ、そうだ。
今シーズンに限らず、
ツールだけではない大きなチャンピオンになってほしい。
注文をつけるなら、
予防線のエクスキューズと、鉄砲ばきゅんポーズは
かっこわるいから、やめたほうがいい。


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 ※文中の引用文は偽造です。ほんものはこちら。

 それぞれに独立して互いに融け合うことのないあまたの声と意識、
 それぞれがれっきとした価値を持つ声たちによる真のポリフォニーこそが、
 ドストエフスキーの小説の本質的な特徴なのである。
 彼の作品の中で起こっていることは、複数の個性や運命が
 単一の作者の意識の光に照らされた単一の客観的な世界の中で
 展開されてゆくといったことではない。
 そうではなくて、ここではまさに、
 それぞれの世界を持った複数の対等な意識が、各自の独立性を保ったまま、
 何らかの事件というまとまりの中に織り込まれてゆくのである。
  (----ミハイル・バフチン「ドストエフスキーの詩学」より)