6月16日のサイクリングは
豊平川サイクリングロードを通り、もっと先へ進み、
札幌芸術の森へ。
はじめての、目的と目的地のあるサイクリング。
目的というのは、芸術の森美術館で開催中の
「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」。
ハリウッドが映画化したほどにセンセーショナルな
モディリアーニとジャンヌの《物語》を
ふたりの画家の作品と資料から構成する展覧会
ということになるのでしょう。
しかし、僕の頭であらゆる考え事は
自転車を中心に回っている(サイクリング)ので
考え事はモディリアーニとジャンヌの《物語》から逸れていきます。
パリでの生活のなか、酒と麻薬におぼれ、
心身ともに壊れかけたモディリアーニは
転地療養のため、1918年、パリからニースへ旅立ちます。
およそ1年の滞在後またパリへ戻り、さらに1年後には病死するのですが、
ニース滞在中には束の間ながらも幸福な時間を過ごし、
その間の作品は色調も明るいと言われています。
というような筋書きに《物語》が差しかかったところで、
僕の頭のなかでは
「おっ、《パリ〜ニース》だ」
と自転車スイッチが入り、脱線していきます。
《パリ〜ニース》、
その名のとおりパリ(の近く)からニースまでを
1週間余りにわたって自転車で走っていくレース。
春のはじめに開催され、温暖な南フランスへ向かうことから
「太陽のレース」とも呼ばれます。
現在はプロツールの初戦として、
シーズン到来を告げるレースでもあります。
モディリアーニがパリからニースへ移り住んだ1918年、
ちなみに同じ年にマティスもニースに居を定めているのですが、
その年の《パリ〜ニース》はどんなレースだったのでしょうか。
その答えは・・・
《パリ〜ニース》の初開催は1933年を待たなければならないので
1918年にはまだレース自体がありませんでした。
でも、もし、すでに《パリ〜ニース》があったとしても
1918年には開催されなかったことでしょう。
と言うのも、時節、第一次世界大戦のさなかです。
ツール・ド・フランスも、ジロ・デ・イタリアも、
1915年から1918年までは不開催でした。
ロードレースが中断されていた間、
自転車は戦争に使われていました。
パラシュート部隊が自転車を背負って降下したり・・・
第一次世界大戦は1918年11月に終結、
翌年からはツールもジロも再開されています。
その後、第二次世界大戦にもまた
ツール、ジロ、もちろん《パリ〜ニース》も中断されました。
2007年の《パリ〜ニース》の優勝者は
ディスカバリーチャンネルの24歳スペイン人、
アルベルト・コンタドール。
脳幹部海綿状血管腫という難病のため
レース中に倒れたが一命を取り留め
競技どころか、日常生活への復帰も難しい状況から
ロードレースに帰ってきた選手だそうです。
いま開催中のドーフィネ・リベレに出場中、
ツールでどんな活躍をしてくれるか楽しみです。