20070618
自転車の国のジャポネ
サイクルロードレースの写真を専門にしている
カメラマン砂田弓弦さんの『GIRO』という本を読んだ。
1990年から2001年までの、12年間のジロ・デ・イタリアを
写真とコラムで振り返っているもの。
振り返る、と言っても、
レース展開を事細かに再現・記録しているのではなくて、
「あの年は、こんなだったねえ」と語っている感じ。
レースのなかのできごとだけではなく、
取材する立場で参加したジロを、当事者として語っている。
砂田さんの仕事は、日本のメディアではなく
もっぱら海外メディアから収入を得ている。
日本の仕事じゃ飯を食えないと砂田さんは言うけど
それだけじゃなく
グランツールでレースコースを走るオートバイから
写真を撮ることのできるカメラマンは限られているし
当然、世界市場での仕事をしていなければ
それを続けていくことはできないだろうと思う。
砂田さんは
ロードレースのトップカテゴリーに関わっている、
数少ない日本人のひとりなのだと思う。
かつて、パンターニとチポッリーニという
カリスマ的なイタリア人スター選手がいた。
砂田さんが『GIRO』で語っているのは
彼らがレースを走っていた時代のことだ。
過去のレースのことを知ると、
このまえまで毎晩夜更かしをして見ていたジロも
よりいっそう感慨深いものになる。
集団のボスとして振る舞っていたベッティーニの、まだ若い姿。
シモーニがイタリア人に愛され続けている理由。
ガルゼッリが優勝したときの泣けるエピソード。
いつか、10年くらい先に、
今の若手がベテランと呼ばれるようになった頃、
「シュレックは若いときからやたら強くてね」とか
「リッコはシモーニのアシストだったんだよ」とか
そんな話をしているのかもしれない。
ところで、
現在のロードレースのトップカテゴリーに関わっている日本人と言えば
なんといってもリクイガスの中野喜文マッサーだ。
中野さんは、ジロ総合優勝のディルーカを
専属的に担当しているというのだから、もっと注目されてもいいと思う。
マッサーというのは、マッサージだけではなく
栄養管理、体調管理にとどまらず、精神面のフォローまですると言う。
ディルーカのジロ総合優勝を影で支えていたのは日本人だったんだよ!
ということは、もっともっと語られてよいと思うのだけど・・・
そして、
現在日本人としてただひとりプロツールチームに所属する
ディスカバリーチャンネルの別府史之選手は
まさに今、ツール・ド・スイスに出場中。
自分のために走ることのできる立場ではないことはわかっているけれど
どこかで見せ場を作ってくれることを期待している。