いま、自転車ロードレースの最高峰
「ツール・ド・フランス」が開催されています。
1日ごとのステージは
200キロ以上の距離を走ったり、
アルプスやピレネーの峠を越えたり、
過酷なコースレイアウトが設定されています。
僕なんて、どの1日のステージも完走できませんが
3週間もレースは続いていきます。
今年はロンドンをスタートし、
ベルギーやスペインに入りつつ、
明後日にはパリにゴールします。
長丁場のレースには
オヤツが不可欠。
アイスキャンディーにも自転車。
毎日、自転車で走り続ける選手たちは、たいへんです。
でも、テレビで観戦しているほうも、けっこうたいへんです。
毎日、夜中の1時までわいわい応援していると
当然ながら朝は眠くて仕方がありません。
それでも、寝ぼけながら仕事に出かけて、疲れて帰ってきたら、
また夜中までテレビ観戦です。
それでも、一日も欠かすことなく、テレビを観ているのは
このレースが最高にドラマティックで、
最高にエキサイティングだからです。
毎日、毎日、まったく予想もしないようなことが起きて、
驚きは尽きず、飽きることなどまったくありません。
個性的なヒーローたちの活躍に、
歓声を上げるほど興奮したり、
ほろりと泣きそうになったり、
げらげら笑い転げたり、
息を詰め、まばたきも忘れるほど見入ったり。
* * *
そんなヒーローたちのなかから、
とても残念なかたちで退場していく者が
何人か出てしまいました。
現時点ではあくまでも「疑い」ですが、ドーピングです。
あまりのショックで、
何を感じているのか、うまく言えないのですが
「カラ手形をつかまされた」という感じの、
むなしさと悔しさが入り交じった気持ちになりました。
夢でごちそうを食べる寸前に目が覚めたような。
ポッドキャストのプレゼントで
いただいたボトル。
2006年はドーピング問題の
渦中にあったTモバイルチームのもの。
今年はクリーンなチームづくりに
取り組んでいるけど、
ツール中にまた違反者を出してしまった。
自転車レース界の体質が悪い。
チームの運営が悪い。
やっぱり個人が悪い。
いろいろなことが言われるけど
ぜんぶがホントウで、
ぜんぶがウソだろう。
* * *
このまえ、美術館のチャリティー図録バーゲンで
1988年に開催された小川原修の展覧会の図録を買いました。
これには小川原修本人が文章が掲載されているのですが
ドーピング問題を考えているうちに
なぜだか彼の言葉が思い出されました。
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私は時に〈個〉と〈群〉ということを考える。〈個〉は〈個〉
なのだし〈群〉は〈群〉なのだ。その関係に優劣はない。しかし
〈個〉は常に〈群〉の中に放置され、〈群〉の内部の多様な相関
性の中を浮游する。〈個〉が〈群〉に取り囲まれながらも自分自
身である為には、〈群〉そのものが押しつけてくる様々なエレメ
ントを、消しゴムで一つ一つ消し去っていかなければならない。
私は自分の経過の曲折を振り返って、本来の自分を見つけ出す為
に、ある種の消去法を用いて来たのではないかという気がしてく
る。
ーーーー小川原修「遥かなるイマージュを」より
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ドーピングに限らず
「倫理」(つまり、「正しさ」の問題)には
〈個〉と〈群〉の関係が干渉するものです。
たとえば、極端な例かもしれないけれど
戦時情勢下で、自分の良心に忠実であることが
どれほど難しいことだったか
というようなこと。
弱さも、ずるさも、だらしなさも、
人間のもの。
自転車レースには、
よくも、悪くも、「 人間くささ 」が現れます。
自転車レースに失望したくない気持ちは、
人類に失望したくない気持ちと、
ほとんど等しい。
だから今日もまた
テレビを点けてしまうのです。
* * *
逃げろ!
逃げろ!
ボーヘルト!