20070727

人間たちのレース

いま、自転車ロードレースの最高峰
「ツール・ド・フランス」が開催されています。

1日ごとのステージは
200キロ以上の距離を走ったり、
アルプスやピレネーの峠を越えたり、
過酷なコースレイアウトが設定されています。
僕なんて、どの1日のステージも完走できませんが
3週間もレースは続いていきます。
今年はロンドンをスタートし、
ベルギーやスペインに入りつつ、
明後日にはパリにゴールします。


  長丁場のレースには
  オヤツが不可欠。
  アイスキャンディーにも自転車。

毎日、自転車で走り続ける選手たちは、たいへんです。
でも、テレビで観戦しているほうも、けっこうたいへんです。
毎日、夜中の1時までわいわい応援していると
当然ながら朝は眠くて仕方がありません。
それでも、寝ぼけながら仕事に出かけて、疲れて帰ってきたら、
また夜中までテレビ観戦です。

それでも、一日も欠かすことなく、テレビを観ているのは
このレースが最高にドラマティックで、
最高にエキサイティングだからです。
毎日、毎日、まったく予想もしないようなことが起きて、
驚きは尽きず、飽きることなどまったくありません。
個性的なヒーローたちの活躍に、
歓声を上げるほど興奮したり、
ほろりと泣きそうになったり、
げらげら笑い転げたり、
息を詰め、まばたきも忘れるほど見入ったり。

   * * *

そんなヒーローたちのなかから、
とても残念なかたちで退場していく者が
何人か出てしまいました。
現時点ではあくまでも「疑い」ですが、ドーピングです。

あまりのショックで、
何を感じているのか、うまく言えないのですが
「カラ手形をつかまされた」という感じの、
むなしさと悔しさが入り交じった気持ちになりました。
夢でごちそうを食べる寸前に目が覚めたような。


   ポッドキャストのプレゼントで
   いただいたボトル。
   2006年はドーピング問題の
   渦中にあったTモバイルチームのもの。
   今年はクリーンなチームづくりに
   取り組んでいるけど、
   ツール中にまた違反者を出してしまった。

自転車レース界の体質が悪い。
チームの運営が悪い。
やっぱり個人が悪い。
いろいろなことが言われるけど
ぜんぶがホントウで、
ぜんぶがウソだろう。

   * * *

このまえ、美術館のチャリティー図録バーゲンで
1988年に開催された小川原修の展覧会の図録を買いました。
これには小川原修本人が文章が掲載されているのですが
ドーピング問題を考えているうちに
なぜだか彼の言葉が思い出されました。

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  私は時に〈個〉と〈群〉ということを考える。〈個〉は〈個〉
 なのだし〈群〉は〈群〉なのだ。その関係に優劣はない。しかし
 〈個〉は常に〈群〉の中に放置され、〈群〉の内部の多様な相関
 性の中を浮游する。〈個〉が〈群〉に取り囲まれながらも自分自
 身である為には、〈群〉そのものが押しつけてくる様々なエレメ
 ントを、消しゴムで一つ一つ消し去っていかなければならない。
 私は自分の経過の曲折を振り返って、本来の自分を見つけ出す為
 に、ある種の消去法を用いて来たのではないかという気がしてく
 る。
        ーーーー小川原修「遥かなるイマージュを」より

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ドーピングに限らず
「倫理」(つまり、「正しさ」の問題)には
〈個〉と〈群〉の関係が干渉するものです。
たとえば、極端な例かもしれないけれど
戦時情勢下で、自分の良心に忠実であることが
どれほど難しいことだったか
というようなこと。

弱さも、ずるさも、だらしなさも、
人間のもの。
自転車レースには、
よくも、悪くも、「 人間くささ 」が現れます。
自転車レースに失望したくない気持ちは、
人類に失望したくない気持ちと、
ほとんど等しい。

だから今日もまた
テレビを点けてしまうのです。

   * * *

逃げろ!
逃げろ!
ボーヘルト!