20070918

ちいさな旅の一日:2:オロフレ峠を越えてゆけ(中編)

オロフレ山は登別市と壮瞥町の境界線上に位置する、標高1,231メートルの山。
登山口のあるオロフレ峠は標高970メートルにあり、
登山の人はこの峠から山頂を目指す。
晴れていれば羊蹄山、洞爺湖、支笏湖、太平洋など眺望できる、らしい。
今回は霧に覆われていて、そんな雄大な景色には出会えなかった。
「オロフレ」という地名は「オロフレ川」に由来する。
オロフレとはアイヌ語で「水の中が赤い」という意味だと言う。
オロフレ川は見ていないので、赤いかどうかわからない。
でも、このあたりは温泉地なので、硫黄とか、
赤茶けた鉱物の関係で、川底が赤いのではないかとも思う。

オロフレ峠へ向かう車中では、一同に第4ステージまでの戦況を説明。
リーダージャージのアラシロや、山岳ジャージのドイを売り込む。

峠までの道のりは、もちろんひたすら坂道なのだけど、
途中途中で自転車の人を見かける。
観戦ポイントまで登っていくのだろう。
すてきだ。
路肩に車を停めて、選手たちを待っている人たちも、ちらほら。

これは、山岳ポイントともなると、けっこう人がいて
場所とり合戦になってるかもしれない
なんて思ったのだけど、実際には閑散としていた。
ジロやツールのイメージからすると、あまりにも寂しい。
でも、まあ、これが日本のロードレースの実情。

車を停めて、持参したスコーンを食べて、コーヒーを飲んでから、
観戦する位置を決めにいく。
やっぱり霧が濃くて、近くしか見えない。
いきなり選手が現れてくる感じになるだろうと思った。

応援に来ている人のなかには
NIPPOの黄緑色のウインドブレーカーを着たおじさんたちがいた。
「へろへろになって山を登ってくるから、
 このあたりで一発、気合いを入れてやらなければいけない」
と言っていた。
NIPPOおじさんは、いかにも応援慣れしている感じで
質問をすると親切に教えてくれるのだけど
教えてくれることは意外とテキトウだった。
あまりアテにならない。

NIPPOおじさんからパワースティックバルーン(略して、PSB)をもらった。
PSBは、ポリエチレン製の細長い風船で、
ストローを差し込んで息を吹き込むと簡単にふくらんで、棒のようになる。
棒状になったPSBを両手に持って、叩き合わせると、
カンカンカン、というか、ポワンポワンポワン、というか、独特の音が鳴る。
これを叩いて応援するのだ。

PSBに続いてもらったのは、新聞紙である。
新聞紙は、黄色いパーカーの兄さんからもらった。
ゆうすけが「あの人、なんで新聞を用意しているの?」と訊くので
「あれはおなかに入れて防寒にするんだよ」と話していたら
黄色の兄さんが「渡してみるかい、渡してごらんよ」と新聞紙をくれた。
僕には渡す自信がまったくなかった。
渡すのに失敗して、選手を転ばせたりしたら、一大事だし。
だから「むり、むり」と断ろうとしたけど、結局は僕の手に新聞紙は残った。
むりなのに・・・。


  NIPPOおじさんたち
(photo : さとみちゃん/gl(ジーエル)

  黄色の兄さん
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル)


峠には僕たち、NIPPOおじさんたち、黄色の兄さんたちの他に、
レプリカジャージを着てミーハーな会話をする姉さんたちや、
霧で薄暗いのに、なぜか揃ってサングラスをかけているレース関係者がいて、
全部でせいぜい20人くらいだったと思う。

携帯電話でテキストライブを見ていたけど
レースの状況も、あとどのくらいで峠に来るのかも、さっぱりわからない。
だんだん寒くなってきて、
さとみちゃんがフリースを取りに車に戻ろうか悩んでいた。
そろそろ選手たちが来るよ、と広報車が知らせにきたけど、まだなかなか来ない。
やっぱり取りにいこうか、と、さとみちゃんは迷う。
パトカーが通っていったりするけど、まだレースは来ない。
さとみちゃんが、やっぱり取りにいく、と走っていった。
そしたら、ほら、レースが着た。

やっと選手たちが来たところだけど、「3につづく」!