バスクの自転車チーム、エウスカルテル・エウスカディに
自転車を供給しているサプライヤーは
やはりバスクの、そしてスペイン最大の自転車メーカー「オルベア」。
オルベアのフレームは、やはりスペインらしく、
山岳ステージでのヒルクライムに強いと言われる。
オルベアという会社は、もとはライフルや銃を作っていたが
スペイン内線後に自転車メーカーに転向したものらしい。
スペイン内戦。
フランコ反乱軍を支持したファシズム勢力(ドイツ・イタリア)の航空爆撃により、
古都ゲルニカは破壊された。
あの、パブロ・ピカソの大作「ゲルニカ」は、この爆撃を描いている。
ゲルニカはバスク地方の古い都市で、爆撃により多くのバスク人が死んだ。
ピカソ自身はアンダルシア地方の出身である。
内戦と言いながら、実質的には第二次大戦の前哨戦だった。
反ファシズム運動として国際的に組織された「国際旅団」も戦闘に加わった。
「国際旅団」に参加したヘミングウェイは、のちに
スペイン内戦を背景として「誰がために鐘は鳴る」を書く。
この小説のヒロイン・マリアはバスク人である。
ヘミングウェイ自身はアメリカの出身である。
ハリウッドでの映画化に際してマリアを演じた
イングリッド・バーグマンはスウェーデンの出身である。
反乱軍が内線を制し、フランコ独裁時代が訪れた。
フランコはバスク人からバスク語と自治権を奪った。
75年にフランコが死に、79年「ゲルニカ憲章」で自治が復活する。
ETA(「バスク祖国と自由」)による
テロや暗殺をいとわない過激な独立運動は
現在に至るまで大きな問題となっている。
バスク語も地方公用語として認められるようになったが
今ではバスク人の5分の1が話せるにすぎないと言う。
ヨーロッパの諸言語には
イタリア語、フランス語、スペイン語を含むイタリック語派の他、
ゲルマン語派、バルト語派、スラヴ語派などの系統があるけれど
大きくはインド・ヨーロッパ語族に属している。
しかし、バスク語は違う。
起源も来歴もわからず、言語系統の分類ができないため
「孤立した言語」とされる、ルーツのわからない言語である。
日本語や朝鮮語も「孤立した言語」である。
アイヌ語もまた、「孤立した言語」である。
つまり、地理的に近接する日本語とも、類似はあっても、
直接的な連続性が認められていない、ということだ。
ただ、アイヌ語は
エスキモー語、北米インディアン諸語、
そして、バスク語と、特徴的な構造を共有しているという。
「孤立した言語」が、遠く離れながら、響き合っている。
アイヌ語の置かれている状況は、
バスク語とは比べものにならないほど危機的なものだ。
ネイティブ・スピーカーは10人以下になっていると言われ、
「消滅に近い言語」と位置づけられている。
白老で、昼食を終えて、次の目的地へ向かうにはまだ早く、
「しらおいポロトコタン(アイヌ民族博物館)」に立ち寄った。
ほんとうに立ち寄っただけで、博物館には入らず、
ポロト湖越しに見える野外博物館の「復元されたチセ(住居)」を眺めただけ。
ポロト湖越しに見る保存されたチセ
(photo : ゆうすけ/gl(ジーエル))
わずか4、5件のチセが移築され、保存されている。
その「保存されている」という様が、言い表しようもなく哀しい。
消滅に近い言語、消滅に近い文化。
僕は侵略者・和人の子孫であって、
侵略の歴史のうえにできた都市の住人であって、
ポロトコタンを眺めて「哀しい」などと言うべき立場ではないのかもしれない。
あるいは、また別の視点。
本州の古い城下町にはよく「武家屋敷」が「保存されている」。
保存された武家屋敷を見ても「哀しい」と思わないことは矛盾だろうか。
アイヌ文化への共感ゆえに
その文化を破壊した和人による侵略とアイヌ衰退の歴史に
想いはちりぢりで、
ここに結論めいたことなど書けようはずもないままに
「7へつづく」!