20100209

第5位:越後は夏、猫に待たれながら旅をするなり

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


人は旅に出る。
見知らぬ風景を見るために旅をするのか、
見慣れた風景から逃れるために旅をするのか。
旅に出る理由は様々だろう。
様々な理由で、人は旅に出る。
しかし、旅を終える理由はひとつだろう。
帰るべき場所があり、帰るべき時がきて、
人は旅を終える。
終わるのが旅だ。
そして日常へと帰っていく。
続いていくのが日常だ。
ただいま。
おかえり。
旅について語ろうとするとき
人はむだに感傷的になる。
ここまでの15行は純粋にむだである。

猫は旅に出ない。
たまに旅に出る猫もいるようだが、例外だろう。
むかし『ハリーとトント』という映画を見た。
家を失った老人ハリーが猫のトントとともに
やっかいもの扱いされながら子どもたちの家を転々とする話だ。
ロードムービーだが、ハリーとトントの道行きは旅ではない。
彼らには帰る場所がないのだから、旅とはいえない。

はーちゃんは旅に出ない。
外は嫌いで、家が好きだからだ。
人が旅に出るとき、はーちゃんは留守番になる。
留守番というか、まあ、置いてけぼりだ。

4泊5日の新潟旅行をした。
山あり谷あり、隆起する大地の迫力に圧倒され、
棚田の風景と白米の旨味に日本を感じた旅だった。
はーちゃんが来てから、旅らしい旅をするのははじめてだった。
それまで、1泊の留守は何度もあり、2泊の留守も一度はああるが、
その経験から、留守番で問題になることが、いくつかあった。

まず、ごはん。
1泊や2泊なら多めに置いていけばどうにかなる。
どうにかなるが、うまく配分すれというのは無理な話で
早いうちに食べ切ってしまうことが多いようだ。
逆に、心細かったのか、食べ残していたこともあった。

それから、トイレ。
トイレに関しては徹底的に潔癖なのだ。
片づけてもらわないことには
次の用を足せなくなってしまう。
我慢してしまう。

あとは、さみしさ。
いつもツンツンツンデレのはーちゃんだが
実はそうとうな甘えんぼうであり、寂しんぼうである。
1泊の留守のあとでも、帰ってきた直後は
か細い声でニャアといって、
どれほど寂しく心細かったのかを訴えていた。

そんなはーちゃんを家に残して、新潟へ旅立つ。
後ろ髪ひかれる思いとはこのことだ。
旅のあいだ、合い言葉は「はーちゃん元気かな」だった。
そして「ごはん食べたかな」であり、「ウンチ出てるかな」だった。

はーちゃんはふだんから、ヨッコの帰りが遅いと
ドアの見える場所に座り、ドアが開くのをじっと待っている。
留守ちゅうはきっと、ずっと、ドアばかり気にして待っているのだろう。
サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』で
来る日も来る日もゴドーを待ち続け、
期待と失望を不毛に繰り返すウラディミールとエストラゴンのように
はーちゃんは家族の帰りを永遠のように感じながら待つのだろう。


ションボリしているのだろうと思うと、
旅人のほうもションボリするのである。
ヨッコは日に日に心配を募らせ、早く帰りたい顔をしていた。

旅のあいだの世話は、A子さん(仮名)にお願いをした。
A子さんは毎日うちに通い、ごはんを出し、トイレを片づけ、
はーちゃんの様子をメールで知らせてくれた。
旅のあいだ、メールを読んでは一喜一憂していた。

初日、はーちゃんはクローゼットに籠城したまま。

二日目、出てきてA子さんの足元でニャアという。

三日目、玄関までお出迎えして、A子さんに甘える。

四日目、やはりお出迎えして、ブラシしてもらう。

帰るべき場所があり、帰るべき時がきて、
人は旅を終える。
そこには猫が待っている。
猫のいる日常へと帰っていく。
ただいま。
おかえり。

おかげさまではーちゃんは留守番をやりとげた。
最悪の事態をあれこれ想像していたので
思っていたよりは平気で過ごせたともいえるけど、
帰ってきたときには声をガラガラに涸らしていた。
はーちゃんも限界いっぱい、ヨッコも限界いっぱいだった。

留守番から2週間ほど経って、A子さんがうちに来たとき、
はーちゃんはすぐに寄っていって、
ニャアとあいさつをして、撫でられていた。
こんなこと、他の誰にもしない。
ふつうは出てこないし、あいさつしないし、触らせない。
留守番ちゅうに毎日通ってくれたA子さんへの
感謝と愛慕をはっきりと示していた。

それにしても、ハリーとトントは
帰る家もなく、結局どうなったんだったろうか。
ウラディミールとエストラゴンは
待ち人は来ず、結局どうなったんだったろうか。
どうしても思い出せない。