20100223

第2位:DOGS DON'T EAT IT, HOW DO CATS DO ?

はーちゃんが我が家にきて3周年を記念し
この3年間のはーちゃんにまつわる思い出を
カウントダウン形式で振り返ろうという企画です。


「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」などと申します。
「犬も食わぬ」は、誰もとりあわない、ということで、
夫婦喧嘩している当人たちは大まじめだが、
端から見れば、ばかばかしく、
誰も相手にしないということである。
同じことを「夫婦喧嘩と夏の餅は犬も食わぬ」ともいうらしいが
夏だろうが冬だろうが、犬に餅を食わせてはいけないだろう。

「犬も食わぬ」とほぼ同義で「猫またぎ」ともいう。
魚が大好きな猫が、またいで通りすぎるほど不味い魚。
猫はたぶん、夏の餅はまたぐだろう。
冬の餅もまたぐだろう。
では猫よ、夫婦喧嘩はどうか?

うちの夫婦はあまり喧嘩をしない。
理由を考えてみるといくつかあって、
1)ふたりとも大雑把で無頓着だから
2)ふたりの不愉快のツボが似ているから
3)夫婦というより友達だから
4)夫婦というより母子だから
などなど、複合的な理由から、あまり夫婦喧嘩にならない。
たまに喧嘩のようになっても、
発端を思い出せないほど無意味で、
単にひっこみがつかなくなっただけという口論ぐらい。
こういうのを「売り言葉に買い言葉」などと申します。

ただ、深刻さに欠けた喧嘩とはいえ
めったに喧嘩をしないだけに
どう収束すればよいのかわからず
出口が見えないまま
中身のない言い合いがエスカレートしていくと
いよいよ幕引きが難しくなる。
こんなものは犬も食わない。
猫もまたぐだろう、
と思いきや、
うちの猫は違った。

猫はまったり寝転んでいたのに
わざわざ起き上がり、
トコトコと進みでて、
にらみ合っている夫婦の間に割って入り、
ふたりを見上げて、
ひとこと「ニャア」といった。


「挨拶は時の氏神」などと申します。
この挨拶というのは仲裁のことで
争いごとの仲裁人は神のようにありがたいものだというが
まったくそのとおり。
やめたいのにやめられない喧嘩は
「ニャア」のひとこえで、即、終戦。

「子はかすがい」などと申します。
うちでは「猫はかすがい」。
その後も2人と1匹で仲良く暮らしていますというだけで、
この話、ぜんぜん面白くならない。
第2位なのに。
ただの猫じまん、猫のろけである。

余談だが、「子はかすがい」と聞くと
ウナギが食べたくなるというのはもう
けっこうな落語ホリックかもしれない。